娘のマルティは今、赤ちゃんがお腹に、、、一家の喜びもひとしお!
では、、、
カウンターの向こう側:サンドローネ精肉店
http://www.ilgolosario.it/assaggi-e-news/attualita/barolo-sandrone
バローロにあるこの小さな精肉店のことを私は知らなかった。彼らのスペシャリティがタヤリンとアニョロッティ・デル・プリンであることも、ノヴェッロのアグリツーリズモのお上さんが勧めてくれた。『絶品だから』と、、、
Tボーン、サーロイン、筋肉、ショーケースにはこれらはあっても全ては並べていない。少しずつ冷蔵室から出してくる仔牛肉、活き活きと赤く引き締まった肉の塊たち。丸ごと一羽の平飼いの鶏、サルシッチャ、プロシュット、バター、卵、米、乾燥きのこ。
ムラッツァーノチーズは羊の乳量が減り牛乳で代用する時期は扱わないし、最高級オリーブオイルとしてリグーリアのディーノ・アッボのものを並べているのを見れば、生活に必要なものを少量ずつでもしっかり厳選しておいている店だとわかる。
サンドローネ一家の店は懐が深い。
店に入ると挨拶もそこそこに『行きな。皆いるから』といつものように店主のフランコと息子のアンドレアが促してくれる。店の一番奥の明るい工房をのぞき、卵35個で練り上げたパスタからタヤリンを奥さんのマリアグラッツィアが切り出しているのに声をかける。
トゥルッ、トゥルッ、トゥルッ、、、ルオテッリーナ(回転式のラヴィオリカッター)で娘のマルティナがラヴィオリを切り分けている。限られたスペースでも無駄の無い動きでランゲの2大パスタを生み出していく姿にしばし見入る。
レシピを尋ねるとマリアグラッツィアがラヴィオリの詰め物の材料をあれこれ思い出すままに数え挙げながら生のラビオリをひょいと手渡してくれる。
一つ口に入れて噛みしめ材料を確認していると『生じゃだめでしょ!』といつの間にか茹で上がったばかりのラビオリを盛った皿が手に渡されていた。『ほら、パルミジャーノ。』
とにかく仕事が早い。隠し持つ秘伝のレシピはないが、この小さな工房で何トンもの粉と卵をこね、何百万のラビオリを切り続けてきた腕が彼らにはある。
サンドローネ一家には曇りがない。一家の皆が朗らかに人に接している。どんな家族でも日々の暮らしには心配事もあるだろうが顔にはださない。
この店は『Have』つまり彼らにとって、その日の糧を得る手段であるのと同時に訪れる人に何かプラスアルファーを与える『Give』の空間になっている。
村のイベントになれば店先でトリッパを大なべで煮込み、ボッリートを茹でる。ここは足を踏み入れた者を素顔のランゲにリンクさせてくれる場だ。
サンドローネ・ワールドにどっぷり浸り立ち話しているうちに1時間でもあっという間に過ぎてしまうというのは私だけではない。バローロ周辺の住人もいれば、車を飛ばしてやってくる人もいる。
キヤンパリーノ(現ピエモンテ州知事)は私たちと同じようにふらりとこの店の奥に入って来て立ち話をしラヴィオリを包んでもらうとトリノに帰っていった。
フランスの映画俳優ジェラルド・デパルデューは、フランコだけが店番をしていた日に現れ、てんてこ舞いの彼を見かねてアニョロッティ作りを手伝い嬉しそうに帰っていった。
一日に一体何人の観光客がこの店の前を通るだろう。
手にはワインボトルの2,3本入った箱を下げ、牛や豚などの家畜を愛しい図柄にしたこの肉屋の看板に目を留め、店内をガラス越しになんだか楽しげにお喋りする人達の姿を見ても、洗練された部分のランゲを満喫したいツーリストは少し行儀が良過ぎて、宝の眠る洞窟の扉が軽やかに開け放たれていることに気がつかない。
一度、東京でクリニックを経営する夫婦をこの精肉店に案内した。豊かな暮しぶりで世界中を歩いた人たちだがやっぱりマリアグラツィアとマルティナのパスタ作りの手際に目を奪われていた。
マルティナが婦人のほうに試してみるか?とルイテッリーナを手渡す。恐る恐る切り始めた彼女。端から順に切り進むうちこう言った。
『ああ、こぉれは楽しい!!これは私、大好きだわ!』
2015年3月19日掲載
Paolo Massobrio(パオロ・マッソブリオ)さんは、農場経済及び食文化の分野で長く活躍してみたジャーナリスト。食のガイドブック『il Golosario(イル・ゴロザリオ)』の著者であり、イタリア全土で会員数6000名、50支部を持つグルメクラブ『Club Papillon(クラブ・パピヨン)』の主宰を務めています。
彼のレストランガイド『イル・ゴロザリオ』は点数や星ではなく、料理のレベルはもちろん、居心地、雰囲気、地域との関わり方や、時には、オーナーの人柄まで審査の基準となり、彼のガイドを利用してレストラン選びをすれば間違いがないと、ガイドの利用者たちから大きな信頼を集めています。
『イル・ゴロザリオ』はレストランガイドだけでなく、ワイン、農産物、食材やお菓子など各地域の特産とその優れた生産者を紹介するガイドも発行。私も食関係のクライアントのための視察場所などの選定の参考に利用することが少なくありません。
今年1月の半ばにそのマッソブリオ氏から彼の情報サイトに連載の依頼を頂いたときは、何が起こったかと驚きましたが、名誉なことでもあり、喜んでお受けしました。
が、ジャンルやテーマをたずねても全て『Come vuoi!(君の好きなように)』と返事あるのみ。全国紙にかけもちで寄稿し、最近はテレビにレギュラー出演もされている多忙な人の時間は奪えない。自分で考えるしかない。
イタリア宝半島 (La penisola del tesoro: 2015年1月21日付)
http://www.ilgolosario.it/assaggi-e-news/attualit%C3%A0/motoko
「お宝あった?」
マルペンサ空港の免税店が並ぶ通路を抜け、帰国便への搭乗を待つ日本人が友達同士でよく口にする言葉だ。「お宝」とは、以前はほとんどの場合ブランド品を意味し、彼らの足元にはピカピカの紙袋が3つ4つと置かれているのが普通だった。ところが最近のイタリアへの日本人旅行者にとって「お宝」は多様化し形を持たないことすらある。
この10年ほどで、日本人の旅のあり方は大きく様変わりした。
日本人観光客はイタリアにとって成熟市場になり、ローマ、フィレンツェなどの観光主要都市を巡る格安団体パック旅行への申込者数には陰りがある。日系ツアーオペレーターも岐路に立たされ、よりオリジナリティーがある少人数のための企画を高い質で提供することを迫られている。
イタリアは日本人にとって魅力多い国だ。一度イタリアを訪れれば、その多くが2度3度とイタリアの土を踏むことになる。そしてその主要目的が食文化の発掘であることは稀ではない。教育課程で世界史や西洋美術が必須の日本だが、イタリアの史跡に対する一般人の知識はヨーロッパ人のそれに比べれば当然浅く、それらに心を動かされることは難しいのに対し、イタリアのエノガストロノミーが持つ説得力つまり『美味さ』は直接的で抵抗しがたい。
加えて食を文化として重要な位置づけをするイタリアでは、小さな生産者にこそ日本人が求める「商品の裏にあるストーリー」を含んでいることが多い。
7年ほど前、日本のツアーオペレーターから突然切羽詰った声で電話があり、どうしても獲得したい料理学校のイタリア研修の仕事があるが、提案した企画を学園長から「こんな平凡な企画この私に持ってくるな」とつき返された。何かオリジナリティーのある企画を作れないか?という。彼の企画ではチーズでもワインでも生産組合から紹介された大規模生産者(企業)の見学を選んでいた。
それまで個性的なツアーは提案しても敬遠するばかりのこの旅行会社からの依頼に、(どうせ今回もノーというだろう、だったら、、、)と敢えて自分が一番好きな個性的な生産者を選んで日程を組んだ。ビエッラの森の中にあるトーマ生産者、モンフェッラートのトリフ採り、レストランでのパスタ実習そしてバローロ造り手のテオバルド・カッペッラーノも入れた。後日、予想に反して催行が決まると、受け入れは10人がせいぜいだとテオバルドにも他の生産者にも50人の訪問に小言を言われた。
11月の訪問の当日、テオバルドは体の具合が良くなかった。それでも松葉杖をついて必死でカンティーナまで降りてきてくれ、まるで自分の孫に話をするようにまだ知識も浅い日本の料理人の卵たちに時間を割いてくれた。その姿に心を打たれた日本の若者たちは彼から買ったワインをバスの中でトリノに着くまで抱いていた。テオバルドの訃報を聞いたのはそれから3ヵ月後のことだった。
料理研究家のグループがカルディの生産者を誰か知らないかとメールしてきた。この人以外にはいないと、ニッツァのボンジョバンニさんを訪ねた。彼のカルド・ゴッボ復活の活動を最初に支持してくれたのはマッソブリさんとグラブパピオンだったといことなどから現在に至るまでの全てを語ってくれたおじいさん。研究家たちと畑に出てカルド・ゴッボを掘ってみせてくれた。彼のカルディをレストランに持ち込みバーニャカウダを食べた彼らに感想を求めるとイタリアの食文化の豊かさに圧倒されて言葉がすぐには出ないと唸る。彼らは二年に一度生産者を訪ねるためイタリアにやってくる。
5月のある朝、日本人観光客をつれてビエッラの町を歩いていると、教会の慈善事業の一環でポレンタコンチャを大がまで準備していた。ポレンタコンチャ作りの名人が奏でるその香りに、その日本人はここでお昼にしようという。チケットを買って待っていると、どんどんと人だかりが大きくなり、オバちゃんたちと肩をもみあいながら期待は高まる。12時の鐘の音を合図にいよいよ皿が配られる。が、集まった人だかりから突然、暗黙の了解よろしく『Ave Maria』の祈りが全員の口から漏れだした。おもむろにどこからともなく神父様が現れポレンタの大なべに祝福の十字をきってくれた。イタリア人には見慣れた光景でも、その展開を予想だにしていたかった日本人は、肌寒さが少し残るさわやかな日差しの下で一心に祈る純真無垢な人たちの姿と食への感謝の念の表れに心を動かされたと涙し、ヘビーなポレンタコンチャを大事そうになめていた。
これらのことは実は日本人にとってエキゾチックに写るのはおかしいのだ。日本には仏教の他に神道があり、そこにはアニミズムの基づく食の考え方がある。
子供の頃、私の祖母は、それぞれのご飯粒が仏様が三体いらっしゃるから粗末にしてはいけないと毎日言い続けていた。日本人の食には魂があった。食べ物を敬う気持ちが『もったいない』という言葉にはある。
その同じ日本人が今は植物工場という施設を作り、土には一切触れさせない無菌状態の野菜を作って販売している。農水省も施設の増加を補助金制度で後押している。日本でも当然有機農業の価値は高いが、巷には味のしない野菜が流通していることが多い。イタリアに来るとどこで食べても野菜が美味しいという日本人は今でも多い。どこかでボタンを掛け違ったままの食世界に閉じ込められた日本からやってくる旅行者にはイタリア人が心血を注いで作るワインボトル一本、魂のこもった温かなスープ一杯が心の宝になり得る。
イタリアの小さな生産者や飲食店をとおして州ごとに人々の暮らしを紹介する日本の雑誌の編集長は、取材旅行の帰りに日本へのお土産としてどうしても持って帰りたいとサヴォイ・キャベツを抱いて帰った。『甘く、味わいの深いキャベツの緑はブルガリのダイヤモンドより美しい!』と。
Da Sordevolo |
Da 5 ago 2009 |