イタリアに長く住んでいるとよくイタリア人に聞かれます、「イタリアに来てよかったか」と。
そんな時ないつも「Yes and No」だと答えます。
イタリアでの生活は自分にあっていると思うし、来たことを後悔をした事はいまのところありませんが、それでもイタリアの社会保障システムや行政のありかたを考えると、正直、発展途上国レベルだと苛立ったり、激怒することもあります。「No」の部分はその点です。
一つには国政選挙は比例代表制のみ国民の声が中央に届きにくいから。そして国民自身が個人主義なうえに「諦め」が強く、不満を水に流してしまう悪い癖があるからかもしれません。それでは物事は一向に改善しないし、そういう風潮も生まれない。
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わたしはブログで、ソルデヴォロ村の村長リッカルド(リッキー)についてよく書きますが、それはかれが自分の保身や利益しか考えない他の政治家たち(あまりにステレオタイプすぎた批評に思えますか?でも大小一様にそうなのです)とは一色違った人だからです。
彼が村長に初当選した5年前に比べ村は大きく変わりました。街灯は電力会社Enelと提携し省エネタイプのものに取り替えられ、ビエッラ市内の花屋と広告提携の見返りに村を花で飾ってもらい、石畳の道も豪雨で流されれば直ちに修繕される。駐車場もあちらこちらに景観をこわさないように小さく作られ、路上にとめる車も減った。
リブラ・フェスティバル(
Libra Festival)も定着させ、運営を民間に委託し村は会場の賃貸料を年間に定額で得られることになりました。「キリストの受難劇」委員会が5年に一度の上演シーズンのために2百万ユーロ近くかけて作ってしまった野外劇場のために村が抱えた負債をこれで返却していくことができます。
リッキーはワンマンです。でも、村の人は何もいいません。かれが村のために毎日駆けずり回っているのをみんな自分の目でみているからです。彼は村長をやることで報酬はありません。小さな村の失費で経費が出ないと自分のポケットから出してしまうからです。
彼は「おかねの問題ではない」といいきります。「村の子供たちに『Sig.Sindaco, Buongiorno!』と挨拶されるときの喜びと満足感はたとえようがない」と、、、。彼には政治的野心はあるとおもいます。あと5年の任期、それがおわると次を目指すでしょう。でも、ただ野心だけで動いているとはおもえません。
リッキーになってイベントは増え、村は活気づきました。でも、わたしからみればそれが無かったとしても問題ではない。要は、ソルデヴォロと言えば周囲に地域から一目おかれ、村の人にもソルデヴォロの人間であることにあたらしい誇りが生まれた。あとは、ソルデヴォロのこの豊かな自然を壊さないでいてくれたら、わたしは満足です。
リッキーは少し意見が違うようで、わたしが「Meno tocco meglio e'!(いじくりまわさない方がよほどいいの!)」と意見してもピンときてくれません。自然をライトアップしたり、小さな余計な点はありますが、まあ、我慢できる範囲。
わたしはリッキーたちのやっていることをサポートしつつ傍観するのが好きです。リッキーもこの頃はとても疲れているようにみえます。車で動き回っているせいで腰痛もでたみたい。今後の行く末も期待して見守っていきたいと思います。
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