"Sono passati vent'anni e ancora gli sembra ieri. Anche perhcé il tempo, nella vita di un uomo, non si misura con il clanedario ma con i fatti che accodno; come la strada che si percorre non è segnata dai contachilometri ma dalla difficoltà del percorso."
『20年の時を経過しても昨日のことようだ。ひと一人の人生での時間はカレンダーを繰りながら数えるものではなく、起きた事柄で計るはかるで、それは道を走行計ではなくその道のりの険しさではかるのと同じだ』
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いきなりイタリア語になってしまいましたがマリオ・リゴーニ・ステルン
(Mario Rigoni Stern)の「雷鳥の森( il bosco degli urogalli)」の書き出しです。
1921年、イタリ北東部アズィアーゴに生まれ大戦中フランス、ギリシャ、アルバニア、ロシアに山岳兵として召集。その経験を綴った「Sordente nella neve(雪の中の軍曹)」や、この「雷鳥の森」は日本語にも訳されています。
イタリアに住み始めた頃、読みやすくていい本だから読めと手渡されました。
先の引用は、東欧から徒歩で帰還する第一章の書き出しですが、自分の人生を振り返る一定の年齢にたっした自分には重みのある言葉です。
この本をはじめて手にした7,8年前はあまりピンとこなかった北イタリアの山岳部に住むものの山とはきっても切り離せない生活が根底に垣間見られる言葉でもあります。
それに例えば原始人にとってはマリオ・リゴーニ・ステルンは「ハンティングの醍醐味を描かせたら右に出る者はいない」と言い切れるほど、同じハンターとして大きな共感を覚えるといいます。
最近、この「雷鳥の森」を読み返し第2章の「
La vigilia di caccia (狩猟前夜)」を読み返すと小さな驚きがありました。
猟犬たちの狩猟解禁となる時期を直感しそわそわとしだす情景、狩りに向かう男達のハンティングを神聖視しながらも傍らに眠る家族や周囲を早朝おこなさいようにとベッドを抜け出す『しのび足』、眠った振りをしていても脳の隅で夫を送り出す妻や子供たち、、、。
まったくそのとおりなのです。ハンターがいる家庭で何十年、何千回と行われてきた秋の夜明け前のの情景です。秋は、彼は散る、老いや人生の終盤を連想して憂いのあるイメージにとられるのが一般的です(日本は少し違うかな、、、)ところがこれらハンター達にとって秋は心踊る、わくわくがいっぱいの季節。
その模様については一度ATLビエッラの公式サイトに「ぶじゃねん通信」を書き始めた頃に書きました。興味があったら読んでみてください。とっても長いですから御注意!
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以前ほどでなくなってとはいえ、未だにイタリア人女性にハンティングの話をするのは気が引けます。ほとんどが動物愛護派で、享楽のために動物を撃ち殺すなどもってほかとアグレッシブに攻撃してくる人がいるからです。
果たして動物を撃つことを享楽としてハンティングを楽しむ人が一体何人いるのか疑問ですし、数少なくなったハンターを攻撃するより、企業による環境汚染などを神経を尖らすべきことがおおくあるちょうにおもえるが、それを口にする人がいないのはとても不思議です。
わたしにとってのイタリアの七不思議のひとつ、、、
素晴らしいイタリア文学が日本にも少しずつ紹介されていて嬉しいです。逆に日本の作家もイタリアで多く紹介されています。嬉しいことです。
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