AUTUNNO 秋
PERFETTE GIORNATE LE MIE
文句なしの日々だよ、僕のはね
MA IL CORPO, ALLARMATO
だが、肉体は警報を鳴らし
SEGNALA LE PRIME AVARIE
最初の故障を告げている
PERCHE' DUNQUE VITA LUSINGA
なら、どうして儚い人生に
A NON DISARMARE LE VOGLIE
欲求は尽きることを知らないのだ
SE QUESTO MANIFICO AUTUNNO
この素晴らしき秋は
E' TUTTO UN CADERE DI FOGLIE?
全てが葉を散らすだけというのに?
この「秋」という詩は、ピエモンテの真下、リグーリア州ジェノバのシンガーソングライター兼詩人で惜しくも2006年にこの世を去ったブルーノ・ラウツィの短い詩です。
私だっても四十の曲がり角を過ぎ、まだまだ若僧のつもりでいても二十代の頃とは比べようもなく体力が減り、私よりもっと年を重ねている義理の両親の健康を見守る毎日を送っていると、
この詩の言葉のひとつ一つを噛みしめ、秋の紅葉をこれまでとは違った気持ちで眺めたりもします。
この詩はでも、老いの絶望なんかを詠っているのではありません。むしろ肉体的に何の憂いもなかった時期には決して得られる事のなかった精神的な活力を喜んでいる、人生のお祭りの歌です。
そう、秋祭りみたいなものかなあ、、、。 葉が枯れ落ちても、寒い冬に向かっていても頭は冴え人生を堪能できる年になった。そういう時期を迎えていると『信じたい』です。
ブルーノ・ラウツィは、まだうちの村の現村長が慈善団体の会長をやっていた頃、この村に3回ほど招かれましたが、いずれの野外コンサートも大雨で中止。まったくの雨男でした。
しかも3回目にはコンサートに使う大切な椅子を村に忘れてしまい、現村長がリグーリアまで届けるハメに。
彼の自宅に行ってみるとブルーノ・ラウツィは自分の船で釣りに出ていて浜辺まで椅子を届けたそうです。そして一緒に村長は一緒に船にのって釣りに付き合いながらいろんな話をしたそうです。
彼の曲はどれもとってもやさしい。小さくて、決してハンサムな歌い手ではなかったけど、多くのイタリア人、イタリアの同じシンガー達から今も愛され、彼の歌は若手の歌手達が歌い続けています。
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