イタリアの主要紙『La Stampa』の一面に同紙副編集長のマッシモ・グランメッリーニのミニコーナー『Buongiorno』はイタリア版『天声人語』みたいなものでしょうか。そこで2002年10月4日彼は次のとおり書いています。
『-スコットランドの小作人-
農作業をしていたところ、スコットランドの一人の小作人は近くの沼の方から助けを求める叫び声を聞いた。底なし沼でおぼれかけている子供を見つけると自分の命にまで危険は及んだが彼はその子を助けた。
その子供の父親は貴族で、その事件がおこった同じ日の夜には小作人の家のドアをノックし、お礼に小作人の子供の学費の面倒をみようと約束した。
こうしてその小作人の子供はイギリスでも最高の学校に通うことが出来、医学部を卒業。医学の道で名を高めることとなった。その人こそ、ペニシリンの発見者「アレクサンダー・フレミング」である。
その後、小作人が救った貴族の子供は重い肺炎にかかったのだがペニシリンのあったおかげで回復した。ちなみにこの子の名は「ウィンストン・チャーチル」。ヒットラーの侵攻を阻んだイギリスの首相である。
後に何が起こるかなど想像だにせずこのスコットランドの小作人の些細な人助けが人の歴史を二度も変えることになった。
あらゆるニュースの集中砲火、把握もままならないさまざまな事件に翻弄される僕のような者には、ネット上から取り出したこの実話に首筋を柔らかくマッサージしてもらったような気がした。
あらゆるものが自分たちの手では収集のつかなくなり、シニズムだけがこの混乱した世の中の唯一の解毒剤であるかのように、僕たちに浸透し凝り固まってしまったこの無力感と戦ってくれている。
実は僕たち一人一人のとる行動は、他のどこかの何かにいつもつながっているのだ。それらははっきりとした役割を持ち、たとえその行動をとった人の意図とは別の結果になろうと、あるいは結果らしいものがなかったとしても、たとえその時点でシナリオ全体を知ることができなくてもだ。』
朝刊の1面でこの記事を読んだとき私も原始人も何か不思議な安堵感を味わい、なんだか嬉しくなったのを覚えています。
『Bongiorno』が一冊の本として2002年末に刊行されたのですが、そのプレゼンテーションにビエッラを訪れた作者、原始人の旧友でもあるマッシモに久々に会った際その話をすると
「あの記事ね、、、あの後さ、読者の何人かがメールが送ってきてね『小作人のエピソードは他の史実や年代とかみ合わないからそれは嘘の話だ』ってね。」とマッシモ。
「それは問題じゃないんじゃないかな。お前が言いたかったのは事実か否かじゃないもんな。」
「そうだろ!君はわかったよなあ、あの記事にはGioiaがあるんだよな。」マッシモは目を輝かせて原始人にそう頷きます。
あのエピソードを読むとそこには「Gioia(喜び)」が見えてくる。どんな小さな人の行為も最後にはこの地球を形作る一部なのだから自分たちはもっと自分の行動を注意深く見つめるべきだし、それは素晴らしい意味をもっているのだいうメッセージだ、、、ってことだよなあ!と中年男二人は肩を組んで喜んでいました。
マッシモは確かにその記事を彼の本の巻末に加えるとこう書き足しています。
『幾人かの読者からこのエピソードには矛盾が多すぎて信憑性に欠け、作り話でしかないと指摘を受けました。いずれにしてもこのエピソードが伝えるメッセージは絶対の真実です。』
あれから7年ちかくが経ちますが、私の田舎暮らしにも情報や『もの』がますます溢れて私では収集がつかなくなるときがあります。するとこのマッシモと原始人のコメントを思い出します。結局、何をどう理解するかは自分たちの頭ひとつ。
とうとう2010年に突入してしまいました。さあ、私も錆びついた頭に油をさしてぇ。ねじをよーく締めなおさないと。
にほんブログ村PR