バーニャ・カウダ、白トリフ、去勢牛のビステッカ、フリット・ミスト、ボッリート・ミストにマンマのモンフェッラート風ラビオリにサラミ。バローロ、バルバレスコ、ネレッロ・マスカレーゼ、リーノさんのバルバカルロといったワイン。そうそうソルデヴォロ村の食卓にはヨーロッパ一やわらかいここのお水なくては!
冬場のガッリーナ家の食卓には毎日お経のようにこれらの言葉が飛び交います。有難いことです。これらを比較的簡単に口にすることができるのですから。
12月に入ると急に食卓に招く客人も増し、おもてなしのための食材探しに奔走する原始人。朝からキッチンに立ち美味しいものをテーブルに並べれば、友人との会話もはずみ、これと思うワインをグラスに注げば食卓を囲む皆が吟遊詩人へと身を変えてしまう。私たちにとっては何よりの至福のときです。
クリスマスイブの一夜だけは、けれど、フランス国境近くの山奥にある修道院で過します。
麓の町バニョーロ・ピエモンテから10キロほどの荒涼とした林の下を走り四方を灰色の山に囲まれて佇むシトー会『プラ・ドゥ・ミル修道院』。
キリリと冷え、文字どおり静寂に支配されたこの空間は初めての人には一人ぼっちで取り残されてしまった印象を与えかねない。ところが、これで10年以上クリスマスに通ってきている私たちは特別の安心感を覚えます。
修道院が宿泊者に出してくれる食事。今年はまず、にんじんのミネストローネ。にんじんで黄色のスープに探さなければ見つからない程度にお米が入ったもの。今では多くが顔見知りになった他の宿泊者たちと使われた材料をあてっこしながら頂く。次にモルタデッラハムと生ハム一枚ずつにカリフラワーのベシャメルソース添え。最後はプラムを煮込んだソース状のデザート。カロリーはたぶん一般家庭のそれの半分くらい。それをみんなで静かにでも惜しむように一生懸命食べる。
冗談半分に食卓を囲む人たちとその日の食事当番だった修道士や、なぜこの材料がミネストローネ入ることになったかを想像する。ですが、それらの言葉の奥で皆がかみしめるのは彼ら修道僧の皆さんは毎日その食事を(あるいはさらに質素な食事を)感謝しながら食べているという事実。感謝するだけでなく一生懸命にそして明るい気持ちで作っているのだということ。
そのミネストローネを口にするとき、それまで自分がこだわり原始人とああだこうだ言いながらの食生活の中で忘れていた大切な食するという行為の本質的な部分を思い出し頭が真っ白になります。
幼い頃、祖母の「お米一粒には仏さんが三体いらっしゃる。残したらあかん、罰があたるで!」口癖のようにいいながら農作業で荒れた手で栗の皮をむいたり、蒸したサツマイモにお塩をふって渡してくれていました。あの味と修道院のミネストローネには似た暖かさがありました。
これから日本も大晦日にむかって慌しく動きだすのでしょうね。どうか皆様、良いお年を!
過去の記事
ピエモンテのクリスマス 我が家はこう
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