年が明けました。日本では大きな困難に苛まれ、厳しい試練に立ち向かわなければならなかった。そして仮設住宅などで新年を迎えられたかたたちも多いとおもいます。新しい年を迎えそういう皆さんが少しでも明るい気持ちで過せる元気な日本に戻ってくれることをイタリアから願っています。
さて、今日は古くは貧しい農家の人たちが一年間の厳しい農作業に耐え冬の寒さが厳しくなるまえの今の時期に皆で方を寄せ合い温まりながら食べていたピエモンテの伝統料理バーニャカウダの話をしましょう。
たとえば原始人に人生の中で一番大きな意味を持つ料理は何かと聞いたなら、彼は迷わずに『バーニャカウダ』と答えるでしょう。
サルバドール・ダリも「イタリアが世界に残した最も偉大な遺産」と称えたというこのピエモンテのお鍋料理。
日本でもかなり知られるようになり、ピエモンテの伝統的なレシピがかなりアレンジされて紹介しているものもあるようですが、こちらの伝統的なバーニャ・カウダを愛する人たちのこだわりは各家庭に伝わる伝統レシピや地域の野菜にあります。
まず、バーニャカウダは一人や二人で食べても美味しくない!友達も一人二人じゃつまらない。あっという間に8人から10人は集まってしまう。
みんなの集まるその日、原始人はまず早朝4時にはベッドから抜け出し、車に飛び乗ると自宅から車で2時間のNizza Monferratoへ。
ここにはバーニャカウダには欠かせない野菜。カルド・ゴッボを作りの名人おじいちゃん、ボンジョヴァンニさんが住んでいます。
彼との約束の時間は朝の7時。7時にはおじいちゃんは約束をしておいた野菜を木箱に用意し待っていてくれます。彼はそれを受け取ると一目散に職場へ、、、そうしてでも新鮮なおじいちゃんの野菜で頂きたい!
彼はこの道50年以上のベテラン。彼の畑はカルド・ゴッボの栽培にうってつけのきれいな砂質。夏に背丈の伸びたカルドを秋になると一つずつ地面に掘った穴に折り返してやらなければなりません。これが難しい。
カルド・ゴッボは70年代に一度は人気がピークになり、ついで質の悪いカルド・ゴッボ(美味しくなるまで成長を待たずに出荷することろが増えた)が市場に流れたため敬遠されるようになり栽培農家が激減。おじいちゃんはそんな状況が悲しくて自分はこつこつと昔ならながらのカルド・ゴッボ生産を続けてきたし、また食通たちのクラブに登録してPR活動もやってきた。それが認められて2006年にはスローフードから保護農産物として認定も受け、ボンジョヴァンニおじいちゃんはカルド・ゴッボ作りのマエストロとして70歳を越えた今でもイベントがあれば出かけていってバーニャカウダとカルド・ゴッボを振舞っています。
バーニャカウダをつくるこの日、私も出かけていっておじいちゃんの写真を撮ろうとすると、『ちょっとまて!!』といって作業場の奥に隠れてしまいます。何をしているの?『着替えとる!!』、、、しばらくしてトコトコ戻ってきたおじいちゃん。でも服装は前と同じ。『足元を見てみろ!これでないといかんわい!仕事をするときはこれが一番!』
なんと木靴! オランダのものにも見えますが、確かに以前は農作業をする人は木靴を履いていたそう。仕事がしやすいそうです。硬い地面でもぬかるみでもどんと来いといったところでしょうか?
この日のお客人は3人、こじんまりと5人のバーニャカウダでしたが、バーニャカウダにこだわりのある人たちばかり、おじいちゃんの作ったキャベツ、ミニパプリカのワイン糟漬けらがバーニャカウダ通たちをうならせました。
にほんブログ村 関連記事
http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/48/ キッチン海賊団
http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/72/ シラネさんとピエモンテを食する
http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/48/ ZACKZACK バーニャカウダ
PR