ソルデヴォロ村の夏休みを飾る1ページには誰もがこの澄み切った清流エルヴォを挙げたいでしょう。
私も年に、二、三回は泳ぎにいきます。いい年をして?
村の人たちには『My Lama(淵)』があります。エルボ川の所々に深い淵があってプライベートプールになります。早めに行かないとでも他のひとにとられてしまう。
エルヴォには私は行ったことのないインフェルノーネ(大地獄)という場所があって、岩をよじ登らないといけない、それはそれは深い、すごーい淵があると教えられました。
でもその場所は屈強な若い男子でないと、しかもロッククライミングの経験のあるものでないといけないと言われました。連れて行ってやることができなくて残念だと。
去年からそこに私でもいけるようになりました。ヴィアフェラータを作ったのです。ソルデヴォロ村と隣のムッツァーノ村が出資、約8万ユーロ(1千万)をかけ、専門の登山家グループがその設計計画と工事の実施を行いました。
ヴィアフェラータとは聞きなれない言葉かもしれませんが、イタリア語で鉄で作られた道という意味で、このような施設は世界中でこの言葉が使われています。きっとイタリアで生まれた言葉なのでしょう。
Inoxのステンレス金具を岸壁などに打ち込んで足場をつくり、専用の防具があれば移動が可能になるというもの。
プロのアシストがないと行けないと聞き、自分は無理かと思っていたのですが、友人のアレッサンドラがさらっと簡単に誘ってくれ、家族には内緒ででかけました。
ちょっと怖かったけど、エルヴォの本当にきれいな部分を、景観を損なわずに見せてくれるヴィアフェラータに感謝です。
しかも、体中のありとあらゆる筋肉を使うのでいい運動になります。所要時間はゆっくりで3時間。
今度はBBQセットをもって出かけたいなあ、、、。
これまで長い間留守にしていましたが、その間に東日本大震災がおこってしまいました。
私はちょうど神戸からきていた友人を迎えに車で移動しているあいだに車中で聴いていたイタリア語ラジオ放送で第一報を得ました。
あれから2ヶ月以上が過ぎ、イタリアでも連日伝えられていた日本の情報も今ではほとんど語られなくなりました。
日本で伝えれられる情報とイタリアで伝えられる情報のギャップに戸惑いと時には怒りも感じながらはじめの一ヶ月は過ごしました。
そして、今自分に何が出来るのかという問いかけはイタリアに住む多くの日本人もしていたと思います。自分も例外ではありません。
それは震災直後に一日40本もの電話がかかってきて私の日本の家族の安否を気づかってくれたり、援助の申し出をしてくれる人があとを絶たなかったからです。
彼らの気持ちを日本に届けたいが、いったいどうやたらと考えました。答えは意外と早くみつかり、
いつも一緒に活動している慈善団体ピエトロミッカを通じての義捐金募集へとつながりました。
こうして次の1ヶ月が過ぎました。口座はまだあけてあります。思い出したように募金をしてくださるビエッラの人たちがまだいるからです。
私にできることというよりもやらなければいけないことはまだあるようにおもいます。
チェルノブイリの原発事故による放射能被害に苦しむイタリア人はまだまだいます。
たとえばイタリアにはバセドウ病に悩まされている人が多くいます。
私の周囲にも数え上げれば10人はいるでしょう。私の義理の弟も含まれています。
彼らの原発に対する恐怖は大きなものがあります。
そして市民の恐怖をあおぐかのようにいい加減な数値で福島の放射能事故のことを伝えるイタリアのメディアが存在しています。
イタリア国内でブームだった和食レストランでも客足が減り、ビエッラの街の魚屋にも日本近海でとれた魚が入ってきていないのかと問いただす客がいるそうです。
これらの恐怖を払拭するのはどうしたらいいのか、、、
まず、世界各国に散らばり、日本と仕事をすることでここまでやってこれた私たちがなすべきことと考えます。
いつか被災された東北地方の方たちがまたイタリアに元気にやってこれる日を願って
またこのブログでイタリアの明るい話題をお伝えしていきたいとおもいます。
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Da Sordevolo |
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