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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

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『イル・ゴロザリオ』寄稿 第3回 - ザ・ミラクル・バター

2013年8月、大切に思っていたリーザおばさんが亡くなりました。お葬式の日、仕事である日本の取材クルーと出かけねばならず、葬儀には参列したものの、おばさんが亡くなったことをどう受け入れていいか考えるだけでもめまいがして、これから仕事に出かけるという心境には到底なれなかったのを今でも覚えています。

原始人に、「他人に迷惑はかけられないから今はおばさんの事ははなかったことにしておけ」といわれました。それを強く思いすぎたせいでしょうか、私の中でそれからずっとリーザおばさんはこの世のどこかにいることになり、心の中で清算がつけないままでした。

今回、『Il Golosario』へのこの寄稿を機会に一つの区切りがついたように思います。掲載にご協力を頂いた『料理通信社』取材班の皆さんに心から感謝します。 

では、、、

  

『ザ・ミラクル・バター』

http://www.ilgolosario.it/assaggi-e-news/attualita/miracle-butter

 陽に晒されてざらついた表面の入り口の扉を押して中に入るとキッチンとを結ぶもう一つのドアにはめ込まれた小窓からは、リーザが暖炉の前で大きな背中をこちらに向け、小枝をくべているのが見えた。

低めにとった窓から差し込む夕方の弱い光だけではこのキッチンの棚のコーヒー缶、四角い目覚まし時計、ストーブの上におかれた寸胴鍋、ベンチの上で押し潰されたクッションも、真ん中に置かれたテーブルの上の花柄のプラスチック製のテーブルクロスも明るく照らすには不十分だった。

薄暗く、さらに全てが暖炉の煙で煤けていても、きちんと片付いて一筋の埃もないキッチン。
 中に入るとリーザが振り返って私を見るなり怒鳴った。
「ビンを洗剤で洗ったね、嫌な匂いが残ってた。ダメじゃないか!牛乳の汚れは酢と塩で取るんだ。」
 私がリーザに怒られたのは後にも先にもこの時の一度きりだった。
「まあ座りな。」


そう言うと、彼女も椅子を引いて座る。肩を縮めて謝り、私も座るといつものたわいもないお喋りが始める。ここからは目覚ましの針の動きは何の意味も持たなくなる。


 標高1000mにある山腹にある1700年代後半にナポレオンの時代フランスから落ち伸びがトラッピスト修道士が住んでいた建造物。

その廃屋を改造して牛を飼い暮らしていた一家の娘として牛舎で生れ落ちた彼女。70才を大きく越えたリーザは何でも知っていた。

子牛の胃でカッリョ(チーズの凝固剤)を作ることも、豚の脂肪を煮て石鹸を作ることも、アルニカから打ち身に効くクリームを作ることも。雲の動き、風の向きを見ると先人の諺を持ち出して天気を占った。地域のあらゆるハーブを配合して10種類以上のリキュールをカンティーナに作り置き、尋ねてくる人にちょっともったいぶりながら振舞っていた。


 そして、何といってもバター。肥沃なこの地域の草だけを食べて牛が出す乳の脂肪を撹拌するだけのシンプルなバターが、なんともいえないミルクの味わいを持ち、コクのある生ハムやアンチョビと一緒に口の中に入れるとその存在はさらに何倍にも膨らんだ。


 『ミラクル・バター』とは彼女を初めてたずねた日本のジャーナリストがつけた名前だ。深いコクがあるのに舌に嫌な脂っこさを残さず溶けるていくのは、150年ほどと酪農文化が浅く、工場生産が一般的な日本の国民にとってまさにミラクルだった。

 テクノロジーを用いずとも、ごまかしの通用しない自然を相手に暮らせる人は強い。彼女はそのことを知っていたし、その強さを信じていたから怖いものがなかった。村から出ることがほとんどなくても、世界を放浪しつくして彼女の農家にたどり着く私たち日本人との間に垣根を一切つくることがなかった。


 2005年末、日本で新しく、質の高い食の情報誌を目指す雑誌『料理通信』が生まれると知り、自分の住む地域のPRを日本でするには活字にしてもらうことが大切と考えた私は、地域の協力でこの雑誌社の取材クルーを招聘した。

彼女を通してこの地域のマルガリの人たちの暮らしを見てもらいたいと思った。日本人は古いものと手入れを怠っただけの物との見分けがすぐにできる。彼女のキッチンに入れば、そこが暮らしのワンダーランドだとすぐにわかる。 

 クルーの責任者がこの地域での5日間の取材を終えた記者発表で最初にこう言った。
『マルガリの人たちはあなた達の宝ですね。』
 そこに集まった地域の有識者たちから一瞬戸惑いの空気が沸きあがった。『世界遺産もある。世界を代表する工業製品もある。マルガリの人たちの素晴らしさは自分たちが一番良く知っている。だが、それが何よりも世界へのアピールになるというのか?』そんな戸惑い。


 その数年後、同じ人たちを前に同じことを言った人がいる。スローフード協会会長のカルロ・ペロリーニだ。この地域のバターがスローフードのプレシディオに指定されたのはそれから数年後のことだ。

 陽も暮れ、ビンにつめてもらった搾りたての牛乳を腕に抱えて野道を引き返す。母親のぬくもりと同じ牛乳の暖かさは不思議なことに簡単に冷めたりしない。満天の星の下を足早に家もどってからも、牛乳のぬくもりも、リキュールをなめながらリーザとのお喋りを楽しみながら得ていた暖炉の薪のぬくもりもまだ暫く残っていた。


 リーザはもういない。
リーザが紹介された『料理通信』ゼロ号の奥付には、いたずらっぽいリーザの顔がアラン・デュカスと相対して掲載されていた。
 
 


 

 

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