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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

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『イル・ゴロザリオ』寄稿10回-山口県のミラノ博でのイベントに迫ります

 5月24日日曜日     、ミラノ博日本館で行われた山口県のイベントに参加して来ました。色々なご縁で山口の皆さんがミラノにお出でになる前から動きを追わせて頂いていたので気持ち的にも共にに歩いた気になっていた私。そんなことからイタリア人のこの素敵な取り組みを良く知って欲しいと思い『イル・ゴロザリオ』の記事にも取り上げさせていただきました。

 ご参考までにタイトルの『ザ・グレート・ビューティー』とは私の大好きなイタリアの映画監督パオロ・ソッレンティーノが昨年アカデミー外国語映画賞を受賞した作品の英語名のタイトル。(イタリア語は『La Grande Bellezza』)現代のイタリアの混沌としてカラフルかつ退廃的な部分を皮肉たっぷりに鮮やかに切り取った映画です。

では、いつものように日本語訳で紹介させていただきます。


The Great Beauty
http://www.ilgolosario.it/assaggi-e-news/attualita/great-beauty

 

『味の良さに加えて見た目の美しさ、この2つで日本語でいうOMOTENASHIをする、つまり人をもてなす、これが日本料理の原点であると私は信じとります!』
ともすればキッチンに隠れてしまいそうなほど小さな体からふり絞るように日本料理人は観客に向かって訴えるとフグの身に包丁をいれた。

 ヨーロッパで初めて猛毒を持つ魚フグを食べさせてもらえるという半ば興味本位で詰めかけたイタリア人を前にしても、数十年をかけて磨かれた腕を持つ料理人の眼差しはびくともしない。食感を楽しむために透けるほど薄く切られたふぐの刺身を、観客らの死の危険を冒して食するドキドキとは全く無関係のところで、鶴や菊の形に美しくお皿に盛っていく、その妙技にはその『おもてなし』の心が込められていた。

 これは524日、ミラノ・エキスポ2015の日本館で企画された山口県のイベントの一コマだ。人口150万人の本州最西端の県が地域の良さをPRすべくミラノに乗り込んできた。


 ちょうどイタリアという国が生まれたのと同じころ、日本でもリソルジメントに似た動きが起こっていた。アメリカのペリー提督から開国を迫られたのを引き金に侍の時代が終わろうとしていた日本で、この山口(当時の長州)はイギリス、オランダ、フランス、アメリカを相手に戦争を起こし、また西洋の威力を思い知ると海外から積極的に知識を得ようと懸命になった。幕府を倒して将軍から権力を天皇に奉還させ、日本に新しい時代を築いた藩の一つでもあった。

山口はそんな利発で勇気あった人たちの末裔の地だ。腰には刀こそ差していないが、いずれも一本の強い芯を持った人たちがミラノにやってきた。そんな誇り高き人たちだからこそ日頃から自分たちが大事にしてきた魚、寿司そして日本酒をイタリアの人たちに差し出すその手にもまなざしにも優しさと穏やかさがこもっていた。

 

『ヨーロッパで山口を紹介するのは今回が初めてです。私たちはこれまで、山口の良さを発信することに発ち遅れていたと思います。私たちの地域は三方を海に囲まれ、様々な自然の特色を持ち、良いものが沢山ある県です。それをもっと知ってもらいたい』42歳と若さあふれる村岡嗣政知事はこう語る。

彼こそ真っ直ぐで、選ぶ言葉も完璧すぎるくらいだが、特産の岩国寿司の話になると『あれは本当は足で踏むんですよ。』と、楽しそうに足で踏む真似をして見せた。その時の笑顔に彼の郷土の料理に対する抵抗し難い愛着をみた。

山口と言えば、私の3月の寄稿で紹介した新谷酒造という小さな蔵元がある。今回、新谷義直さんは来ていないが、実は大切な酒を生産者仲間である岩崎喜一郎さんに託していた。彼が2ヵ月以上も不眠不休で作ったビエッラ産イタリア米による日本酒だ。


 その名も『Il Sake』イタリア米の粒が日本のものの倍ほども大きく倍の時間と労力を要して作らなければならなかったが、4月に絞り、瓶詰されることになり、ならばちょうどエキスポに持って来られると、イタリアと山口を結ぶ食のシンボルとして会場で紹介されることになった。

作った自分が紹介できないもどかしさを感じる新谷さんを見かね、岩崎さんが紹介役をかってでた。岩崎さん自身の作る貴重な酒『長陽福娘』も含め山口の代表的なお酒のボトルが並ぶ中、彼はこの小さなボトルについて紹介する。

実は、このプロジェクトには私も2011年の震災直後から関わっていた。日本酒をイタリアで醸造することから良い日本酒をヨーロッパで普及させようという企画だが、道は今もまだまだ険しい。それでも、ビエッラの有志のおかげもあり、今回の試験醸造の運びとなった。

 口に運ぶと、すっきりした辛口で後味に複雑な深みがあった。イタリア料理にも間違いなく合う。日本で醸されたがテロワールはイタリアだった。その味わいを噛みしめていると山口の人が後ろから私の肩をぽんとたたき『色々な偶然の積み重ねでこうなったけど、ほら、ここにまたストーリーが生まれたね。』と笑って言った。涙が出た。
 
 

現代のイタリア人なら普通にできてしまうことだが、日本人にとって自分の地域や生産物を海外で紹介することは偉業だ。つい最近まで自分たちの日常的な生産物が世界に通用する優れた生産品だとは夢にも思っていなかったこと、そして言葉の問題もあるだろう。

 それが今回、こうしてエキスポ参加という偉業を成し遂げたいと彼らが思ったのはそれがイタリアだったからだ。

 歴史、芸術があり、魅力にあふれ、ダビンチやミケランジェロを生んだ国イタリアだからだ。パオロ・ソッレンティーノが映画『ザ・グレート・ビューティー』で皮肉と苦みをもって描いたような現代のイタリアの全ては理解できなくてもその混沌とした魅力に惹かれ、イタリアに挑んでみたいと夢見てしまう。

 硬い木箱から幾重にも多彩な色を織りなす岩国寿司を取りだす瞬間、フグを口にする瞬間のイタリア人の驚きの顔を想像し胸をときめかせるから老練の料理人も自分の息子ほども年の離れた知事を頼って一緒に飛行機に乗ったし、イタリアと山口をもっと近づけたいと皆が思ったから『
Il Sake』も他の優れた日本酒たちの旅の仲間に加えた。

Expo 2015に開催地に選ばれ、『食』がテーマとなった時から既にイタリアは勝利への切符を手にしていた。経済大国でも、貧しい上に戦渦に巻き込まているような国でも『食』は人の生存の根源に関わる。

 どんな国にも『食』ついて語るべきことがある。日本のように多くの資材を投じ、地方の食の豊かさを訴えようと出かけてくる国もあれば、ボリビアのように、標高の高い彼ら国で命綱のように大事な乾燥芋だけをほそぼそと展示しているところもある。ここは世界の縮図だ。



 イタリアが開催国としての威信をかけて作ったパビリオン・ゼロは人の目を奪う美しさだが、同時に決して土のにおいを忘れていないことに驚いた。山口の人ひとたちも憧れ挑んでみたい相手としてのイタリアの『The Great Beauty』がここに形になって表れていた。

 イタリアではこのエキスポに賛否両論あったことは知っている。

 が、イタリアという国を愛しているなら考えてみてほしい、もしこのエキスポが失敗に終わっていたらイタリアにとってそれは何を意味していたか、そして山口の人たちのように懸命な努力でエキスポに臨んだ人たちや飢えに苦しむ小さな国からかすかな望みをもってやってきた人たちの思いを。

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ベルカ、新しい我が家の住人が野生を呼ぶ

まだ、我が家の新しい住人をご紹介していませんでした。
名前は『ベルカ』。

 名前の候補は20以上あった気もしますが、古川日出夫さんの小説『ベルカ、吠えないのか」を原始人はイタリア語、私は日本語でちょうど読み終わった頃で、なんとなとなくこの名前に決まりました。
 獣医さんで登録をした際にはチェコスロバキアン・ウルフとして登録しましたし、事実、犬種としてはそうなのですが、実は彼のおばあちゃんは野生のアメリカオオカミ。

 この子が我が家にやってくるにはいろいろ経緯があります。

親子でスリーショット


 登山家、冒険家として知られるあるイタリア人が10年ほど前、あるきっかけで2匹のオオカミを連れ冬のノルウェー単独縦断3000キロに成功。
 過去に一度挑戦したものの孤独に負け断念。その後、オオカミの子犬を2匹をもらい受けて育て、彼らを伴って再トライ、見事北極圏に到達。その手記が2006年に出版されました。


 この本はオオカミ好きや自然愛好家、登山愛好家の間で大きな反響を呼び、今でも再版が続いています。

 2006年当時、村の文化評議員をしていた原始人も子供の頃から大のオオカミ好き。この冒険家を招き講演会を企画。会場はすぐにいっぱいになるほどの盛況ぶりでした。

生後半年ごろ
 
 2013年2月、家族のようにかわいがっていたジャーマンシェパードが亡くなり、気落ちした私たち。すぐには新しい犬を飼う気にはなれず、もうすぐ1年がたとうというころ、講演会以後すっかり連絡が途絶えていた前述の冒険家から私に連絡が入ります。

 北極圏近いラップランドで新しい事業を始めた為の翻訳依頼でした。対応で電話に出た原始人、私の了解を得るまでもなく快諾。
「ところで、オオカミの子供がいたりしない?」
「えっ!?何で知っているの?」と、冒険家。

 原始人は期待半分で当てずっぽうにいったのですが、実はノルウェイ縦断の際について行ったオオカミたちは亡くなっているものの、現在、その血を引くオス(母親が前述のオオカミの妹)チェコスロバキアン・ウルフの間に子供が生まれる予定だというのです。(野生のオオカミから3代目なら法的にも一般家庭で飼うことができます。)
 
引き取りに行った際のテントの中で

 私は彼のために翻訳をする代わりに、子犬をもらい受ける約束がその場で取り交わされました。翻訳は楽ではなかったけれど、このオオカミ犬を引き取りたいという申し出はすでに800件を超えていたものの、私たちのリクエストは受け入れられました。

 が、他にも条件が、、、

まず、彼の住むコルティーナの標高1600メートルの山荘にまで子犬を選びに行くこと。その場で、この子たちを飼う資質を私たちが持っているか冒険家さんに品定めされました。

そしてその後、さらに高地、まだ残雪が6mもある標高2000メートルの野営地に子犬を引き取りに行き、彼らの住む環境を理解するために2泊すること。『野営地』とは、本当に標高2000メートルの酷寒の地にアメリカン・インディアンのテントを張ってあるだけ。中は小型ストーブが一個。

彼らを飼うには大きな忍耐が必要になるため、ここでも冒険家さんに試されることに。
彼は『例えばお金ならいくらでも出すからオオカミ犬を売って欲しいという人には渡したくない、生半可な気持ちで飼い、後で問題をおこして僕の手元に戻されるようなことは絶対的に避けたい』と何度も繰り返していました。

  で、言い出した以上、引き下がりたくない原始人。かんじきを履いて3時間かけ目的地に到着したものの、寒さと、子犬が一晩中入れ替わり彼のお腹の上を行ったり来たりで眠れない。
  翌朝、なんのかんのもっともらしい理由をつけ、ベルカと一緒に下山するゆるしを冒険家からもらいます。

  こうしてすぐさま、5時間車を飛ばしてソルデヴォロに戻ってきた原始人。
あの日からかれこれ10か月がたちました。

  ベルカの体重も17キロだったのが42キロ。心はまだ幼いけど体はほぼ一人前です。
雄大な自然の中で腕白に育っていた彼に人間の暮らしに馴染むためのルールを知ってもらうための格闘中です。
  車に乗って移動する。人と(特に女性や子供)遊びたくても飛びかからない、噛むことでコミュニケーションをとろうとしない、バールでおやつをもらいたくても待つ、ほかの犬にアグレッシブにならない、などなど。

  これらを少しずつでも覚えてくれている彼。でも一番変わったのは私と原始人の生活でしょう。 これからも折に触れ、彼のことをお話ししたいと思います。


ランブレッタとリナルディ



2月のある晴れた日曜、仕事でバローロに出かけていった原始人とわたし。

車を飛ばすこと1時間半、この日のバローロはVESPAの集会があってイタリア各地から自慢のVESPAにまたがった人たちで賑わっていました。

バローロで私たちを迎えてくれた仕事の関係者はこのイベントを喜んでいたけど私たちはどちらかというと人ごみからはさっさと非難したいアマノジャク、と、思いきや、、、現地での仕事をさっさとすませた原始人はお気に入りのワイナリー巡りで頭がいっぱい。
 

残念ながら友人のアウグスト・カッペッラーノはトスカーナのジョバンナ・モルガンティさんのところに行っていて留守。となると次に頭に浮かぶのはリナルディさん。
 
原始人が最高のバローロの造り手は『悔しいけど(?)この人』と評すジュゼッペ・リナルディさん。が、気難しく個性の強い、文化と教養の深さで一目おかれ彼は原始人にも難関中のナンカン。

ですが、原始人にはまたその効きすぎたほどの皮肉もへそ曲がりなところも彼の作るワインと同じくらい大好き。彼の嫌がることはしたくないし彼の邪魔をするのは避けたい。
 
でもこの日、できることならバローロで手に入れて帰りたい彼のワインが原始人にはあったのです。それはバローロではなくROSAE。実はアスティの一部の地域で作られているRuche’(ルケ; ルケの『ケ』にアクセントマーク)というワイン。

快晴の空、うじゃうじゃ人のいるこの日のバローロ村にリナルディさんが自宅にいるはずがないし、邪魔もしたくない、と原始人はまず小さなワインショップでこのリナルディさんのルケがないか聞いてみることにしました。

『だけどなあ、あの店にはなぜかしらおいていないんだよなあ、、、』
案の定、、、
『ない、売り切れ。でも、本人にきいてみるといいよ、さっき家の前を通りかかったらいたよ。』

商売気がないといえばない店主、親切といえばとても親切なワインショップの店主に背中をポンと押されたかたちでリナルディさんを訪ねることに、、、

自宅の門を抜け、車から降りてみると確かにご本人が玄関先でなにやらバイクをいじっているところ。私たちの車のエンジン音にも頭を1ミリたりとも上げることもなく黙々となにやら作業中。

つかつかと近づき声をかける原始人ですが、頭を上げてくれたのは3回ぐらい声をかけてからだったでしょうか。わたしなぞちょっとおどおどとしてしまいますが、、、気にしない原始人。
 

リナルディさんは彼の愛車の一つLambrettaのお手入れ中でした。
『時々はこうやって労わってやらないと。』 

原始人も昔はランブレッタに乗っていたから狂喜乱舞!でもタダモノのランブレッタじゃなさそう。
確かに52年生産のランブレッタでした。『今も乗れるの?』

『当たり前だ、今日はこの村でVESPAの集会をやっているだろう。去年はその中をこれで走り回ったさ。したら君、村の連中が怪訝な目で見られるじゃないか。今年もこれから乗り込んでやりたいところだが、まあ、大人気ないのもなんだしな、ここでほらこうやって手入れしてやってるのさ。』

こうしてバイクの話(彼はバイクばかりなんと20台を所有しているそうです。)、戦争の歴史から最後は原始人のお目当てルケの話になりました。

『アスティの人には申し訳ないが、僕にとってはリナルディさんのルケが最高のルケと思う!』と原始人。
途中から参加したリナルディさんの友人がそれにうなずく。……と、リナルディさん

『そうかい。だがね、俺は一度アスティのルケ祭りに参加したことがあるがね、そこで同じことをどっかの評論家さんが公言しまったもんだからアスティ中の生産者ににらまれたよ。ああ、それからは残念だが二度と参加できなくなったね。くわばらくわばら!』
 
このルケというピエモンテの土着品種ですが赤ブドウでとてもフルーティー、妙にフランスのボージョレーで栽培されているガメイに風味が似ています。

スコルツォレンゴなどの極限られた地域のみでの生産が許されているため地域外で栽培醸造をしているリナルディさんはルケと表示することじゃ許されず、『ROSAE(ロゼ)』と名づけて販売しています。

 
でもこのリナルディさんのワインには小さな隠されたストーリーがあります。
リナルディさんのお父さんは戦中、アフリカで捕虜になった時期がありました。同じ牢にいたイタリア兵たちと言葉を交わすうち、その一人が同郷でアスティ出身、その人もワインを作っていると知り、二人は仲良くなりました。
 
ここで二人はある約束をしてお互いを励ましあいました。
『もし二人が共に生きて故郷に戻れたら、お互いが育てているブドウの木をもってそれぞれの家を訪ねよう。そしてそれぞれの畑にそれを植えようと。だから頑張って生き残ろう。』

その後、幾多の困難があったか知りません。でもとにかく二人は生きて故郷の土を再び踏むことができ、その友人はリナルディさんの畑に本当にルケの苗を植えてくれたそうです。

だから息子であるジュゼッペさんもそれをおろそかにすることは出来ない。

 
原始人はこのワインが大好き。一つには彼の大好きなボージョレーのワインと共通する味わいがあること、親しみやすさ、フルーティーさがあることでしょうか。しかも、魔術師のようにワインはこうあるべきというお手本のようなワインを生み出す手をもったこの男リナルディの手がけるワインですから、彼にはお宝ワインなのです。
 
この日、お喋りのあと2つ3つのリナルディさんの小さな意地悪(皆さんのご想像におませするとしましょ)にも耐えた私たちは彼のROSAEを売って頂くことに成功!!こういうときは余所見は禁物!にっこにこで帰途についたのでありました。

アウグスト・カッペッラーノ、ジョバンナ・モルガンティやジュゼッペ・リナルディさんについて知りたい方はこちら

http://www.racines.co.jp/library/goda/44.html

ランブレッタについてはこちら
 
http://mods.beat-net.info/scooter/lambletta.html

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イタリアの誇りギタリスト、エドアルド・カテマリオの音色を

2009年、ソルデボロ村の村営放牧小屋でも特に古くから存在する小屋が雪崩れで倒壊。その修復のためのチャリティーコンサート出演のお願いを心よく受け入れてくれたのは世界を舞台に活躍するクラシックギターリスト、エドアルド・カテマリオでした。

     その当時のぶじゃねんの記事 http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/40/ 
catemario-Portrait-Quagli-3.jpg
 
たとえばトスカーナの小さな村の中央広場の肉屋、狭い店の奥で窓からミートボールを力強くこねる主人の手を思わせる、そんな幸せに太った彼の指が彼の分身ともいうべきギターの上で踊りだす時、

その響きの軽やかさ、正確さ、忠実さ、高貴さなどといった様々な色彩に聴衆は魂ごと魅了され、心が温められ、それほど繊細には見えない指先に騙されたことに小さな喜びすら感じ、ギターという楽器のもたらす恵みに感謝せずにはいられなくなる。
                                                                     
『彼のギターを日本の皆さんにも聴いてもらえたら!』
 
この思いは、特に昨年、ドイツグラモフォンが発表したベストアルバム『Guitar Gold』に、現代ギター奏法の父と呼ばれるアンドレス・セゴビアに次いで収録曲数の多いギタリストがまさにエドアルド・カテマリオだったことでその思いは一層強くなりました。

http://www.bedroomrockers.it/classica/artista/discografia/?ida=613668 
(52曲中半分はセゴビアですが、13曲がカテマリオ、他をイェペスなどが占めています。)

このアルバムは過去の一定期間(10年から20年間)に行われた録音演奏から著名な重要曲を選曲した上で各曲についてドイツグラモフォンが最高の演奏と認めたものを収録するという貴重なベストアルバム(3枚組み)です。しかも演奏者中唯一の現役ギタリストはカテマリオ。
 
ナポリ男らしく饒舌で、それでいて音楽だけでなく周囲の人に対しても謙虚であることを忘れない人。5歳で初めてリサイタルを行ったとき、ギターの方が自分の体より大きかったこと、

彼の最初の先生はフランツ・リストの愛弟子であった人の娘でしたが、その気難しい老婦人は彼がミスをするとその小さな子供の耳を引っ張り長い廊下の端から端まで引きずって御仕置をした。そんな話を臨場感をもって語るエドアルド。その人としての温かさにふれるとなぜ彼の演奏に心が動かされるのか納得がいきます。
 
その後も音楽的才能を『努力』というもう一つの大きな才能をもって伸ばしていったカテマリオ。彼にその音色を一度でいいから日本の皆さんに聴かせてもらいたい。
 
この度、神さまの遊び心でとしか説明しようのない不思議な縁でお付き合いをさせていただいているソプラノ歌手田村あきこ先生と国際芸術連盟のご尽力で私たちの小さな願いが実現されます。

国際芸術連盟作成によるエドアルド・カテマリオのプロフィール
http://www.jila.co.jp/?cat=7


田村先生と国際芸術連盟のお力添えがなかったらこの日がこれほど早く訪れることはなかったでしょう。皆さんに心から感謝しつつエドアルド・カテマリオ初来日公演の日程をお伝えしたいと思います。
 
日本のゴールデンウィーク期間でもあります。東京近郊で遠出のご予定の無い方は是非会場に足をお運び下さい。
 
2012年4月27日(金) 19:00開演 18:30開場
エドアルド・カテマリオ 湊ゆかり&湊まゆみ ジョイントリサイタル
日 時・会 場東京オペラシティ リサイタルホール
料 金 一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年4月29日(日) 19:30開演 19:10開場
エドアルド・カテマリオ 田村あきこ ジョイントリサイタル
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール
一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年4月30日(月・祝) 14:30開演 14:00開場
エドアルド・カテマリオ 松本まりこ&桑原春香 ジョイントリサイタル
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール
一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年5月1日  名古屋公演(詳細は後日お知らせいたします。)
 
詳しくは 
チケットは各コンサートホールへ
ブログラムと詳細は国際芸術連盟HPをご覧ください
http://www.jila.co.jp/?tag=may
 
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ピエモンテ牛のはなし

12月7日、今年もモンカルヴォへ『去勢牛品評会』を見に行ってきました。
『Fiera del Bue Grasso di Moncalvo』というのが正式名称で100年以上も続く伝統行事です。

農家では一昔前までは去勢され性格のおとなしくなった牛を農作業使っていました。それが一定年齢を過ぎると牛に代替わりをさせ、農作業に使わなくなった方をクリスマスの時期にあわせて淘汰し、クリスマスのご馳走としていただく。それが今ではクリスマスに去勢牛を食べる伝統となって残っているのです。


今では純粋に肥育を目的にしていますから餌から健康管理、牛舎の衛生管理まで細かな管理が求められます。

さて、モンカルヴォはピエモンテ中央に位置するモンフェッラート地域にある町。
この町は春先には地元産ワインフェアー、秋には白トリュフ祭り、そして暮れの去勢牛品評会と食に関連した伝統行事がありますが、いずれも観光客よりは地元の人たちのためのお祭りといった色合いが強いです。

会場にも見てのとおり女性は全体の10%未満。このイベントは男たちのイベントなのです。
このフェアーの特色といえば 

まず、牛は肥育者とそれを購入する精肉店が二人一組になって出品します。
評価に対して重要なのは肥育者より精肉店になります。大切なのは牛の良し悪しを見分ける目が精肉店側にあるかということ、それがないと消費者によいお肉が届かないし、良い肥育農家が育たないという考え方に基づいていると思います。

私もかれこれ5年以上はこの品評会に顔をだしているので半ばモスカさん御用達化している肥育家のグワスタヴィーニャさんとも顔見知り。彼は肥育農家とは呼べないでしょう。だって農家ではなく彼自身も本当はお肉屋さんなのです。彼の自宅の中庭で10頭ばかりの去勢牛を肥育しています。


彼の牛舎の床はセメントですが、その上に厚くわらが敷かれており、それは一日に最低2回は取り替えられます。飼料はふすまやとうもろこしなどいわゆる配合飼料に含まれているものを彼自身が配合し、脱脂粉乳や果ては生卵までを与えて大事に育てます。
牛舎の天井には厚くくもの巣が張り巡らされていますが掃ったりしません。自然の空気清浄機の役目を果たしてくれるから。
そうして可愛がって育てた去勢牛で一番良い出来のものをまずはモスカさんが購入してくれることを彼は願っています。

ビエッラの精肉店モスカの店主、ジョバンニ・モスカさんは経営を前代から譲られてからかれこれ40年以上このフェアーに参加しています。モンカルヴォの住民から尊敬を込めて『シニョール・モスカ!』と呼び止められ挨拶を受けますが、それは一朝一夕に得た賛辞でないことは明らかです。40年の重みです。

そんなモスカさんでも毎年、審査の日には緊張するようです。去年より遅く出発した私たちを見るなり
『今年は粒ぞろいだよ。よそのどこの牛も出来がいい!不景気で牛の買い付けも上手くいっていないと聴いていたんだがどうして、、、今年は手ごわいぞ。』
顔の表情はいつものゆったりした大旦那なのですが声がどうも暗い、、、 

私は肉用牛の目利きなどできませんからなんともいえませんが、牛のお尻をみればモスカさんがパオロさんから購入した去勢牛レオナルド(イタリア好きのピエモンテ号にも紹介されました)のものはまるでディズニーのアニメーション『小熊のプーさん』が蜂蜜を食べすぎで木の洞から出られなくなってしまったあのお尻を彷彿とする幸せなお尻。他の牛のお尻よりインパクトがあります。

モスカさんは以前、お肉の質はこうやって見るといいながら私に牛のお尻の皮を引っ張って見せてくれたことがありました。シャツをつまむ感覚で引っ張るのだと。レオナルドのお尻を引っ張ってみると脂肪でぶよぶよなんてしていません。ぴんと張って筋肉隆々な感じ。

さて、緊張の瞬間!審査発表です。 
去勢牛の購入者と肥育者の間ではすでに購入価格は決定していますが、ここで受賞をすると肥育者には購入者が割増料金を支払います。購入した精肉店はその分お店での去勢牛の売れ行きがよくなります。モスカさんのライバルの精肉店は先に一般部門で一等を受賞しています。モスカさんも手ぶらではお店に帰れない状況です。

なかなかモスカさんの呼び出しがない。不安が募り募ったところで声がかかります。
『、、、特別重量部門グランプリ、体重1250キロ、肥育者ベルガマスコ村パオロ・グワスタヴィーニャ、購入者モスカ精肉店!!』
でもその声が人の大きな完成で聞こえない、、、大きな拍手が起こり、なんだか私もわけのわからないまま歓声を挙げて喜んでしまいました。

先日のイタリア好きにも登場したパオロさんがモスカさんと交渉中とあった去勢牛レオナルドですが、この牛は昨年のカッルゥの品評会で1等を取った牛でした。パオロさんはところがそれを売らずにモスカさんのためにさらに肥育を続けてきたのでした。 
思い入れたっぷりのレオナルドがグランプリ、もう一頭パオロさんからモスカさんが購入したものが総合の1等、メルリさんという別の肥育農家から購入したものが2等。総合グランプリは今年は逃したものの3頭入賞したことはこれまでもあまり例がないです。好成績の歳となりました。


さっそくこれらの入賞牛にはモスカが所有していることを示すため毛を刈り込んでいきます。それをするのは長年モスカさんの仲買人をつとめてきたおじいさん。すでに引退をしていますが買い付けの締めには必ず顔を出し、品評会にも参加します。モスカさんは彼の生きがいを奪ったりしません。

ジョバンニ・モスカさん自身、お店の経営のほかのことは全て息子のアルベルトに任せてしまっても牛の選定と買い付けだけは誰にも任せません。

息子のアルベルト曰く「あの人からそれを奪ったらそれは親父に死ねっていうのと同じだからね。」

今年の報告はこれでおしまい

関連記事

精肉店モスカ体験 http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/45/
ZACKZACK http://www.zackzack.jp/u/iwasaki

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わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

発信!

ビエッラのショッピングガイド


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