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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

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イタリアを代表するエノロゴ サルヴォ・フォーティ

農業ウェブマガジン『ZACKZACK』ページ上でお約束しました、地方紙『La Provincia di Biella』の文化欄コラムからシチリア人のワインコンサルタント サルヴォ・フォーティ氏のインタビュー記事をご紹介します。
 
昨年末、日本酒の会に参加された際、原始人がインタビューをして書いたものです。本当に忙しい方でインタビューも移動中の車の中で行いました。
 
エトナのおとこ
 
 
 独創的なアイディアというのは、あまり褒められないアイディアであることの方が多い。中には良いアイディアもあったとして、長い時間をかけてはじめて成果が得られるもので、最初の試みから良い成果が上がることなどほとんどない。さらにいうと、直感に優れた人は実務にはあまり向いておらず、ユートピアを目指し常に荒波にさらわれそうになりながら船出する人が、凪の海面をきりもなく進み続ける粘り強さも兼ね備え、一つのプロジェクトを完結させるケースはことさらに難しい。
 ここで語りたいのは、自分の夢を他が手本すべきレベルで実現させた男の話だ。シチSalvo.jpgリア人、エトナ人、ワイン栽培醸造コンサルタント、彼の名はサルヴォ・フォーティ。
 
 10年以上遡るが彼が活動を始めた当時、周囲の環境はブドウ栽培もワイン生産も衰退の一途にあった。エトナといえば過去には火山がもたらす独特の自然環境とネレッロ・マスカレーゼやネレッロ・カップッチョといった土着品種の恩恵により独特で優雅なシチリアでも最高のワインを生産する地域だった。
 小さな区画の段々畑にはアルベレッロ仕立てのブドウの木が並び、根元からよりそうように伝統的に栗の木の支柱をきっちりと立て、畑を仕切るのは溶岩石を積み上げるだけで築かれた伝統的な黒壁だった。重労働が待っているそんな畑を投げ出すものは時とともに増え、畑は丸裸にされて景観を損なったが、それに止めを刺したのはシチリア産ワインの流行で大手ワインメーカーらが土地購入を一気に進めたことだった。
 彼らは、段々畑をまっ平らに整地し、土着品種から分かりやすく海外で売れやすい国際品種に次々に植え替えを行い、アルベレッロ仕立ての使用を止め、Alberello.jpg栗の木の支柱を引っこ抜くとおぞましいセメントの支柱を地面に突き刺した。
 サルヴォの活動はシンプルかつ革命的なものだ。1435年から活動していたカターニア地域のワイン生産組合『イ・ヴィニェーリ』を復活させると、シチリア人からのみという制限を堅く守った中で若者を採用し、シチリアの伝統的なワイン生産をブドウ栽培から環境に悪影響のない道具選びまで、伝統的なワイン生産をまだ体で覚えている残り少ない老人たちから学ばせた。
 このワイン生産技術を使ったわずか数ヘクタールの土地から2つの素晴らしいワインを生みだすと、
この2つのワインサンプルを名刺代わりに、彼はエトナでのワイン生産へ投資を考えていた人たちに栽培から醸造まで一環したサービスの提供とワイン醸造コンサルタンティングサービスをセットで提案して回った。それはブドウ栽培はもとより農閑期には畑の修復や保全、あるいは石積みの壁を築いたり、果てはブドウの開花に香りの面から良い影響を生み出そうとハーブ類をブドウ畑で栽培するということにまでに至った。
 
『あなた方に要求するのは二点のみです。私に全幅の信頼と資金を与えて下さること、そして仕事の邪魔になるのであなた方は仕事に口を挟まないで頂くこと。』
 
 サルヴォ・フォーティはかなり無口な男に見える、口数は少なく、他人に割ける時間はさらに少ない。多くの人が先のような彼の説得に応じたのは何故だろうという疑問がわく。が、それもわずかな時間で晴れてしまった。
 現在、イ・ヴィニェーリには20名が働いているが、シチリアで最も高額な給与を手にする農業従事者だ。『僕はエトナで最も高額な給与を約束していて、それは月1600ユーロ程度、(訳注:これは手取り額ですが、税金や保険、年金掛け金などを含めれば給与額は倍にちかい額になる。)他のワイナリーは働き手がいなくて困っているだろうが、僕は逆の問題を抱えている。僕のところでは収入があり、仕事を分け合い、尊重もされるから。ブドウの前に人を育てる必要があるんだよ。』
 
 イ・ヴィニェーリのメンバーは彼に忠実で、どんな時間帯でも、どんな犠牲をはらっても情熱をもって惜しみなく働き、今ではシチリアの様々な地域に移動しブドウを栽培をしている、常に同じ精神、常に働いてものを生み出すことに同じ喜びを感じながら。
 が、同時に各地で栽培し生産すること以外に、人も育てている。栽培醸造という仕事は現地でそれを続けていく人が必要で、無駄にかけられる時間はない。
 現在、イタリアのみならず海外でもサルヴォへの評価は高まり、いくつかの賞も贈られた。イ・ヴィニェーリによって生産されるワインたちも名品と謳われる。サルヴォはエトナ地域とワイン造りの伝統に基づく彼のワイン哲学を『La Montagna di Fuoco』という一冊の本にまとめた。様々なエピソードが織り込まれ読みやすいこの本には彼の人となりが深く読み取れる。
dilice.jpg ある日、彼はトキワガシの林の奥にのびる道を走り去るネブロディ豚(訳注:ネブロディ地域にいる半ば野生化した豚。捕獲し食用となる、ネブロディの名物。)を見つけオフロード車で追っているうちに標高1400メートルにある開けた土地に行き着いた。そこは眠るようにしてあるブドウ畑だった。そんな標高の高いところにブドウ畑があろうとは彼も思ってもみなかった。
 一人で世話をしていた老人によると、標高が高くブドウは完熟に達することできずにロゼワインになるといった。粘り強く説得を続けても畑を売ってくれようとしなかった老人だが高齢のためこれ以上は仕事ができないと悟った時点で、ラバを使って耕せと言い残し彼に畑を売り渡した。サルヴォはラバを飼うことにした。ラバの名はジーノ。イ・ヴィニェリの有能なメンバーとなり仲間と一緒にシチリアのブドウ畑を巡って活躍している。
 
 サルヴォ・フォーティの起こした奇跡の中でも真の奇跡は、世の中が外国人労働者を最低の賃金で雇う、さらに悪質な場合は彼らを酷使して農業経営を続けるケースが増加する時代に若手労働者を雇用し、高い賃金を払い、土作りから教えこみ、さらに出資者には彼らの提供するサービスに対し市場平均価格の約5倍の代金を支払うことを納得させ、同時に彼らから大きなの信用を得ていることだろう。
 個人の生活とプロとしての責任、狡猾さと透明性、気まぐれと信頼性、ヒエラルキーと親しさそして計画性と即興性、彼はこれらに適切な折り合いをつける能力を常に試される立場にいる。
 
 『自分のワインをブドウから作ろうと思うなら、僕の関心、僕の努力、僕の集中力はブドウ畑に注がれなくてはいけない。いったい何人のオーナーが自分のワイナリーに訪れる人を畑に連れて行き、そこで働く人と話をさせようとするだろう。僕はシチリア人のことが良くわかる。例えば、エアコンの効いた黒ガラスのランドローバーに友人を乗せて畑にやってくるオーナーがいる。彼の畑をクワで耕しているお百姓に手をふるだろう。が、そのお百姓が考えているのはただ一つ、彼らは気にしないこと、少なくともお百姓は彼らになんの注意も関心もはらわない。オーナーがそのお百姓と人としての関係を築いていないから。だがそんなタイプのオーナーたちはこぞって自分のことをかっこよくヴィニャイヨーリ(=ヴィニュロン)と呼ばせたがる。
 全ての人間関係には責任がともなうだろう。そんな人たちは友人やジャーナリストと自宅に戻って一緒にワインを飲んだらおしまい、、、ところがいったん人間terrazza.jpg関係を築きだした相手には、翌日にもう必要ないから来なくてもいいとは言えない、君はその人を自分の人生に招きいれたからだ。
 僕がたとえば今日、それは日曜であったり、復活祭やクリスマスかも知れないが、畑で30人である作業を行う必要があるとして、僕は仲間の誰かに頼み込む必要なんてない、、、電話の受話器を手にとって『お前たち、ここでこういう問題が起きた、、、』といいさえすればいい。
 ブドウの苗木を畑に植えるのだってトマトの苗木を植えるのとはわけが違う、ブドウの苗木は自分の子供の代のために植えるものだからだ。ブドウの木は尊重されるべきだ、自分たちに仕事を与え、僕たちの土地への蓄えになる、急に翌日なくなってしまうものではないのだから。
 活動を始めた頃は様々な問題が起きた、時には重大なものも。わかるだろう、僕たちはシチリアというとても特殊な環境で暮らし仕事をしているからね。とにかく『その種類の問題』も解決したよ。僕が自分からある人たちのところに出向いていってこう言ったんだ、僕は人々に仕事を与え、生活の糧を与えている、それに問題があるならそう言ったらいい、ただし、僕の顔をみて話して欲しいと。その後、彼らとの間でトラブルが起きたことは一度もない。』
サルヴォ・フォーティ、50歳。ブルーグレーの瞳で率直に相手を見つめるウ・ドゥットゥーリ(訳注:シチリア方言でドットーレ(先生)の意)。さあ、何時でも出発できますか?どこにでも、どの畑にも? 今すぐにでも?
ウ・ドゥットゥーリ、あなたは知識と規則を私たちに教えてくれる人です!
 
www.salvofoti.it
www.ivigneri.it

 
文・クラウディオ・ガッリーナ 
2011年12月10日付『La Provincia di Biella 紙』掲載
訳・岩崎幹子

 

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実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

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