忍者ブログ

ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

カトリックという新たな信仰をもった人生の始まり

2013年2月、トスカーナで仕事の打ち合わせを終え、ピエモンテに戻る車内にはローマ法王ベネディクト16世の最後のアンジェラスがラジオから流れていました。生憎の雪道でレンタカーのタイヤは高速に積もった雪を踏みながら危なっかしく進んでいましたが、私と夫の耳はラジオから流れる法皇の言葉に集中していました。



優しくそしてなんと言っても晴れやかなその声は法皇ベネディクト16世としてよりも人間ヨーゼフ・ラッツィンガーとして人々に語りかけているように感じました。 その温かさに自分の胸を貫かれ涙が溢れたのを今でも覚えています。 こうして私はその日、イタリアで暮らし始めてから14年の歳月を経てカトリック信者として洗礼を受けることを心と体で受け入れることができました。その日が自分にこんなに早く訪れようとは夢にもおもっていませんでしたが、そのことをとても嬉しくおもっています。

イタリアでのこれまでの生活はソルデヴォロ村、ビエッラ地域という小さなコミュニティーに迎え入れてもらい、人種を超えてこの地に心身ともに溶け込んだ暮らしをさせてもらってきたとおもっています。そこには少なからぬキリスト教が照らす光がどこかしらあったのは確かです。 いつか自分はキリスト教に改宗する日が来るかもしれないとはおもっていました。が、それは自分の老いと向き合うことになってからでもいいではないか、自分が十分に納得できるまでは安易に改宗はしたくない、そう考えてきました。

ベネディクト16世の突然の辞任表明は、確かに最初は驚きました。が、私の場合すぐに納得がいきました。ここ数年のヴァチカンか抱えていた問題や批判はそれはそれは深刻で大きなものだった。それに対して発する法皇の言葉に例えばイタリアでは耳を傾ける人は少なかった。 ヨハネ・パオロ2世が健康上の理由で自ら行えなかった復活祭のヴィア・クルーチスを当時の枢機卿だった彼が代わりに執り行った際のスピーチで『今日の教会はなんと汚れていることか!』と厳しい戒めの言葉を投げかけたのを覚えています。あれは彼の本心であり、教会がより正しい道へと舵を切り返して欲しいという願いがあったと今でも信じています。 ところが彼自身が法皇となられてからも状況はそう簡単には変わらなかった。

でも、辞任を決意されるほど心を痛めておられたとはいう思いには至りませんでした。 アンジェラスでの法皇の言葉を聞いてもそれに気がつかないどころか、この人は心の冷たい四角四面の法皇だとテレビに向かって非難すらしていた。 最後のアンジェラスを聴きながら流した涙は、もっと法皇の言葉に耳を傾けるべきだったという後悔の念もありました。

これまで私の人生やものの考え方に影響を与えた人は、自分に近しい人たちでした。学校の先生、友人、家族で、本はいっぱい読みましたがその中の登場人物に大きく影響されることもありませんでした。ですからこんなに離れた距離にある法皇の決意にこれほど自分の心が動かされるとはおもってもみませんでした。 しかし、考えてみれば法皇はこれほど大切な決心をされるのに相談できる『人』はいなかったでしょう。その点ではきっと深い苦悩の日々を送られた。彼のような立場の人はでは一体誰にアドバイスを求めることが出来たのか。当然『神』のみでしょう。法皇ご自身の中におられる神に何度も問いかけておられたとしたか考えられない。それでとられた決断がヴァチカンの全ての権力の中心であり、これからもずっとそうあり続けることのできた立場でありながら、まさにその立場を退くことであった。この誠実で謙虚な法皇の姿勢に私は自然におして心に湧き上がってくるように『神』の存在を信じることができました。

この決心をした後、実際にはソルデヴォロ村の神父様のところに相談に行き、成人用のカテキズム教育をはじめました。仕事を多く抱える身の私のために神父様は私の夫にカテキズム教育の指導をすることを提案くださいました。そうすることで時間があるときに家庭ですぐに勉強をはじめられるだろうと。 そうして2週間に一度神父様のところに夫と二人で伺い、不確かなところを明らかにして頂いたり、ポイントの部分を深めていただいたりしています。

イタリアでは教会や聖職者を批判する人は大勢います。教会離れも進んでいます。 しかし、イタリア語を勉強し、イタリア人を知れば知るほど、この国の人々にはキリスト教文化がしっかりと浸み込んでいて、表面的に否定したところでどうにもならないイタリア人の生活とキリスト教は強く結びついています。

90年代の終わり、日本でイタリア語を習い始めた頃、故フィリッポ・フィオレンティーニ先生は日本人の生活や人間性に触れ『日本人にはゆるしの心がない』といわれたことがあります。 当時はその意味があまり理解できず、それ以降、一つの人生のテーマともいうべき疑問となっていました。いまでもこうだとはっきりは言えませんが、少しずつその意味を理解し始めています。 この春4月19日、復活祭の前夜に村の教会で村の人たちに見守られ私は洗礼を受けるでしょう。 その前も後も実際には何も変わらないはずですが、私はそれまでの自分とは違う人生を歩み始めます。 特に、『人の弱さ』を知り、それを『許し』、周りの人とこれまで以上に助け合って生きていかなければならないとおもいます。どこまで出来るかわかりませんがこのことを大切にしていきたいとおもいます。『人の弱さ』とは体の障害や、老い、人生の苦難もそうでしょうが、『意思の弱さ』『感受性のなさ』『ねたみ』『欲』だって『弱さ』です。

 このブログのページを読まれた方は突然になんだ!?と驚かれたことでしょう。 私がこれを書いた一つの理由は、これまで私を温かく見守ってくださった皆さん、日本の友人や仕事が縁で知り合うことができた皆さんにこの場をお借りしてお礼を言いたかったからです。

そして、イタリア生活の中で揺れ動く私の精神面を広く支えてくださった皆さん、意図があったにせよなかったにせよ (笑:この点についてはいずれこのブログ上でお話しすることがあるかもしれませんが)受洗の決意まで導いてくださった人たち、そしてなんといっても黙って見守ってくれた夫クラウディオとその家族、日本の母にも心から感謝したいとおもいます。
PR

Comment

御無沙汰です!

  • HARU
  • 2014-03-26 22:54
  • edit
ちょくちょく乱入しますと言っておきながら、二年もたってしまいました(泣) 元気そうで何よりです。

信仰心は大切ですね。歳を重ねるごとにいろんな”縁”や今自分がこうやっていられる有り難さをしみじみ感じられるようになりました。

you tubeでヒナタカコ(三国出身)の”いずこの空”という曲が聴けます。遠く離れた友を想う歌です。


お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

発信!

ビエッラのショッピングガイド


より大きな地図で ビエッラ・ショッピングガイド の詳細はここをクリック

ブログ内検索

アクセス解析

忍者アナライズ

Copyright © ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]