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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

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復活祭前おきまりのホラーをどうぞ

 
昨日の午後、ふとした用事で自宅のカンティーナ(食用倉庫)に入ろうとドアを開くと、、、じゃーん!!
いくら見慣れている光景とはいえ一瞬ドキッとします。

仔ヤギ一頭がみごとにつるされている。しかも私たちもワイン棚に、、、とっても『ぐるぐる』した光景です。
ヤギをつるしている棒は、原始人がハンティングで険しい山に上るときに使う杖で、ハンティング仲間に送られたもの。いつの間にか吊るし棒に変身。

 
ヤギの奥にある変な道具は量り売りで買ってきたワイン(グリニョリーノ)を瓶詰めしてコルク栓をするためのもの。復活祭の前の日13日にはこれを用いて瓶詰め作業をすることに、、、

ああ、復活祭がいよいよ近づいているんだなと思いました。パピンとマミンの食卓で復活祭のご馳走になる仔ヤギ。本来は仔羊(アニェッロ)を食べるのでしょうが、今回はヤギ(カプレット)。アニェッロよりカプレッとの方がやや脂肪分が少ないですが、乳離れをして草を食べだすとヤギ独特の臭みが出てしまいます。パピンはその臭みが苦手で、必ず農家での飼育状況を確認してから飼います。おろすのも彼自身。

昨日おろして、肉が乾かすのに1,2日まって解体します。 肝臓も脳みそもちゃんとあるのを確認してしまった。 


パピンに「脳みそもあるね。」と嬉しそうに私が言うと
「ふん、匂いだけ嗅いでいろ」にやにや笑いと一緒にぼそり。
ふぐの白子に似ているといいますが、やっぱりちょっと違う。白子はさらり、チェルヴェッラ(脳みそ)はもっとこってりしています。


すこしスプラッターな話題に思われるかもしれませんが、『伝統』と名のつくものにはこういう素材もあるのです。それを怖がっているとその伝統の奥に入っていけない気がして、ぐっと恐怖を抑え逆に楽しむことにしています。

醜いものほど旨い!

ではBUONA PASQUA!!

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イタリアを代表するエノロゴ サルヴォ・フォーティ

農業ウェブマガジン『ZACKZACK』ページ上でお約束しました、地方紙『La Provincia di Biella』の文化欄コラムからシチリア人のワインコンサルタント サルヴォ・フォーティ氏のインタビュー記事をご紹介します。
 
昨年末、日本酒の会に参加された際、原始人がインタビューをして書いたものです。本当に忙しい方でインタビューも移動中の車の中で行いました。
 
エトナのおとこ
 
 
 独創的なアイディアというのは、あまり褒められないアイディアであることの方が多い。中には良いアイディアもあったとして、長い時間をかけてはじめて成果が得られるもので、最初の試みから良い成果が上がることなどほとんどない。さらにいうと、直感に優れた人は実務にはあまり向いておらず、ユートピアを目指し常に荒波にさらわれそうになりながら船出する人が、凪の海面をきりもなく進み続ける粘り強さも兼ね備え、一つのプロジェクトを完結させるケースはことさらに難しい。
 ここで語りたいのは、自分の夢を他が手本すべきレベルで実現させた男の話だ。シチSalvo.jpgリア人、エトナ人、ワイン栽培醸造コンサルタント、彼の名はサルヴォ・フォーティ。
 
 10年以上遡るが彼が活動を始めた当時、周囲の環境はブドウ栽培もワイン生産も衰退の一途にあった。エトナといえば過去には火山がもたらす独特の自然環境とネレッロ・マスカレーゼやネレッロ・カップッチョといった土着品種の恩恵により独特で優雅なシチリアでも最高のワインを生産する地域だった。
 小さな区画の段々畑にはアルベレッロ仕立てのブドウの木が並び、根元からよりそうように伝統的に栗の木の支柱をきっちりと立て、畑を仕切るのは溶岩石を積み上げるだけで築かれた伝統的な黒壁だった。重労働が待っているそんな畑を投げ出すものは時とともに増え、畑は丸裸にされて景観を損なったが、それに止めを刺したのはシチリア産ワインの流行で大手ワインメーカーらが土地購入を一気に進めたことだった。
 彼らは、段々畑をまっ平らに整地し、土着品種から分かりやすく海外で売れやすい国際品種に次々に植え替えを行い、アルベレッロ仕立ての使用を止め、Alberello.jpg栗の木の支柱を引っこ抜くとおぞましいセメントの支柱を地面に突き刺した。
 サルヴォの活動はシンプルかつ革命的なものだ。1435年から活動していたカターニア地域のワイン生産組合『イ・ヴィニェーリ』を復活させると、シチリア人からのみという制限を堅く守った中で若者を採用し、シチリアの伝統的なワイン生産をブドウ栽培から環境に悪影響のない道具選びまで、伝統的なワイン生産をまだ体で覚えている残り少ない老人たちから学ばせた。
 このワイン生産技術を使ったわずか数ヘクタールの土地から2つの素晴らしいワインを生みだすと、
この2つのワインサンプルを名刺代わりに、彼はエトナでのワイン生産へ投資を考えていた人たちに栽培から醸造まで一環したサービスの提供とワイン醸造コンサルタンティングサービスをセットで提案して回った。それはブドウ栽培はもとより農閑期には畑の修復や保全、あるいは石積みの壁を築いたり、果てはブドウの開花に香りの面から良い影響を生み出そうとハーブ類をブドウ畑で栽培するということにまでに至った。
 
『あなた方に要求するのは二点のみです。私に全幅の信頼と資金を与えて下さること、そして仕事の邪魔になるのであなた方は仕事に口を挟まないで頂くこと。』
 
 サルヴォ・フォーティはかなり無口な男に見える、口数は少なく、他人に割ける時間はさらに少ない。多くの人が先のような彼の説得に応じたのは何故だろうという疑問がわく。が、それもわずかな時間で晴れてしまった。
 現在、イ・ヴィニェーリには20名が働いているが、シチリアで最も高額な給与を手にする農業従事者だ。『僕はエトナで最も高額な給与を約束していて、それは月1600ユーロ程度、(訳注:これは手取り額ですが、税金や保険、年金掛け金などを含めれば給与額は倍にちかい額になる。)他のワイナリーは働き手がいなくて困っているだろうが、僕は逆の問題を抱えている。僕のところでは収入があり、仕事を分け合い、尊重もされるから。ブドウの前に人を育てる必要があるんだよ。』
 
 イ・ヴィニェーリのメンバーは彼に忠実で、どんな時間帯でも、どんな犠牲をはらっても情熱をもって惜しみなく働き、今ではシチリアの様々な地域に移動しブドウを栽培をしている、常に同じ精神、常に働いてものを生み出すことに同じ喜びを感じながら。
 が、同時に各地で栽培し生産すること以外に、人も育てている。栽培醸造という仕事は現地でそれを続けていく人が必要で、無駄にかけられる時間はない。
 現在、イタリアのみならず海外でもサルヴォへの評価は高まり、いくつかの賞も贈られた。イ・ヴィニェーリによって生産されるワインたちも名品と謳われる。サルヴォはエトナ地域とワイン造りの伝統に基づく彼のワイン哲学を『La Montagna di Fuoco』という一冊の本にまとめた。様々なエピソードが織り込まれ読みやすいこの本には彼の人となりが深く読み取れる。
dilice.jpg ある日、彼はトキワガシの林の奥にのびる道を走り去るネブロディ豚(訳注:ネブロディ地域にいる半ば野生化した豚。捕獲し食用となる、ネブロディの名物。)を見つけオフロード車で追っているうちに標高1400メートルにある開けた土地に行き着いた。そこは眠るようにしてあるブドウ畑だった。そんな標高の高いところにブドウ畑があろうとは彼も思ってもみなかった。
 一人で世話をしていた老人によると、標高が高くブドウは完熟に達することできずにロゼワインになるといった。粘り強く説得を続けても畑を売ってくれようとしなかった老人だが高齢のためこれ以上は仕事ができないと悟った時点で、ラバを使って耕せと言い残し彼に畑を売り渡した。サルヴォはラバを飼うことにした。ラバの名はジーノ。イ・ヴィニェリの有能なメンバーとなり仲間と一緒にシチリアのブドウ畑を巡って活躍している。
 
 サルヴォ・フォーティの起こした奇跡の中でも真の奇跡は、世の中が外国人労働者を最低の賃金で雇う、さらに悪質な場合は彼らを酷使して農業経営を続けるケースが増加する時代に若手労働者を雇用し、高い賃金を払い、土作りから教えこみ、さらに出資者には彼らの提供するサービスに対し市場平均価格の約5倍の代金を支払うことを納得させ、同時に彼らから大きなの信用を得ていることだろう。
 個人の生活とプロとしての責任、狡猾さと透明性、気まぐれと信頼性、ヒエラルキーと親しさそして計画性と即興性、彼はこれらに適切な折り合いをつける能力を常に試される立場にいる。
 
 『自分のワインをブドウから作ろうと思うなら、僕の関心、僕の努力、僕の集中力はブドウ畑に注がれなくてはいけない。いったい何人のオーナーが自分のワイナリーに訪れる人を畑に連れて行き、そこで働く人と話をさせようとするだろう。僕はシチリア人のことが良くわかる。例えば、エアコンの効いた黒ガラスのランドローバーに友人を乗せて畑にやってくるオーナーがいる。彼の畑をクワで耕しているお百姓に手をふるだろう。が、そのお百姓が考えているのはただ一つ、彼らは気にしないこと、少なくともお百姓は彼らになんの注意も関心もはらわない。オーナーがそのお百姓と人としての関係を築いていないから。だがそんなタイプのオーナーたちはこぞって自分のことをかっこよくヴィニャイヨーリ(=ヴィニュロン)と呼ばせたがる。
 全ての人間関係には責任がともなうだろう。そんな人たちは友人やジャーナリストと自宅に戻って一緒にワインを飲んだらおしまい、、、ところがいったん人間terrazza.jpg関係を築きだした相手には、翌日にもう必要ないから来なくてもいいとは言えない、君はその人を自分の人生に招きいれたからだ。
 僕がたとえば今日、それは日曜であったり、復活祭やクリスマスかも知れないが、畑で30人である作業を行う必要があるとして、僕は仲間の誰かに頼み込む必要なんてない、、、電話の受話器を手にとって『お前たち、ここでこういう問題が起きた、、、』といいさえすればいい。
 ブドウの苗木を畑に植えるのだってトマトの苗木を植えるのとはわけが違う、ブドウの苗木は自分の子供の代のために植えるものだからだ。ブドウの木は尊重されるべきだ、自分たちに仕事を与え、僕たちの土地への蓄えになる、急に翌日なくなってしまうものではないのだから。
 活動を始めた頃は様々な問題が起きた、時には重大なものも。わかるだろう、僕たちはシチリアというとても特殊な環境で暮らし仕事をしているからね。とにかく『その種類の問題』も解決したよ。僕が自分からある人たちのところに出向いていってこう言ったんだ、僕は人々に仕事を与え、生活の糧を与えている、それに問題があるならそう言ったらいい、ただし、僕の顔をみて話して欲しいと。その後、彼らとの間でトラブルが起きたことは一度もない。』
サルヴォ・フォーティ、50歳。ブルーグレーの瞳で率直に相手を見つめるウ・ドゥットゥーリ(訳注:シチリア方言でドットーレ(先生)の意)。さあ、何時でも出発できますか?どこにでも、どの畑にも? 今すぐにでも?
ウ・ドゥットゥーリ、あなたは知識と規則を私たちに教えてくれる人です!
 
www.salvofoti.it
www.ivigneri.it

 
文・クラウディオ・ガッリーナ 
2011年12月10日付『La Provincia di Biella 紙』掲載
訳・岩崎幹子

 

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イタリアチーズ、アルペッジョの誇り『ベッテルマット』

昨年9月から原始人はビエッラの地方紙にコラムを書いてきました。イタリアの食に携わるパーソナリティを紹介する記事はそろそろ19回目を迎えます。
 
地元のこれを思えるパーソナリティーを探すのはなかなか難しい。でも時には思いもしない出会いがあります。
ここにそのうちの一人を紹介したいと思います。
ピエモンテのスイス国境沿いに住みチーズのロールスロイスとまで異名をとる高級チーズ』ベッテルマット』の生産者フランコさんです。 
Franco.jpg
私が紹介するより原始人の記事をそのまま訳す形で紹介したいとおもいます。
 
フランコさんは私が住むソルデボロ村のマルガリと呼ばれる酪農家の人たちとちょっと違います。きれいな一戸建てに住み、そして特にとてもきれいなイタリア語で話をしてくれます。
たしかにサロンの本棚には積みきれず落っこちそうなくらい本が並んでいました。
 
Cantina.jpg
マルガリの人たちと同じように山に登り電気も届かない山小屋(アルペッジョ)でチーズを作る人ですが、なにか私の尊敬するテオバルド・カッペッラーノを思い起こさせる強いものを感じました。

ずっと何だろうと考えていたのですが、それはたぶん、周囲の価値観に流されない自分のもの作りの観念がしっかり出来上がっていることからくると思いました。
一緒にいてそういう穏やかな安心感があり、決してそれに作りものくささとか、媚がない。
 
ではどうぞ、、、

ベッテルマットについてのZACKZACK記事

ピエモンテのテーブル考


バーニャ・カウダ、白トリフ、去勢牛のビステッカ、フリット・ミスト、ボッリート・ミストにマンマのモンフェッラート風ラビオリにサラミ。バローロ、バルバレスコ、ネレッロ・マスカレーゼ、リーノさんのバルバカルロといったワイン。そうそうソルデヴォロ村の食卓にはヨーロッパ一やわらかいここのお水なくては!

冬場のガッリーナ家の食卓には毎日お経のようにこれらの言葉が飛び交います。有難いことです。これらを比較的簡単に口にすることができるのですから。

12月に入ると急に食卓に招く客人も増し、おもてなしのための食材探しに奔走する原始人。朝からキッチンに立ち美味しいものをテーブルに並べれば、友人との会話もはずみ、これと思うワインをグラスに注げば食卓を囲む皆が吟遊詩人へと身を変えてしまう。私たちにとっては何よりの至福のときです。
 

クリスマスイブの一夜だけは、けれど、フランス国境近くの山奥にある修道院で過します。

麓の町バニョーロ・ピエモンテから10キロほどの荒涼とした林の下を走り四方を灰色の山に囲まれて佇むシトー会『プラ・ドゥ・ミル修道院』。

キリリと冷え、文字どおり静寂に支配されたこの空間は初めての人には一人ぼっちで取り残されてしまった印象を与えかねない。ところが、これで10年以上クリスマスに通ってきている私たちは特別の安心感を覚えます。
 
修道院が宿泊者に出してくれる食事。今年はまず、にんじんのミネストローネ。にんじんで黄色のスープに探さなければ見つからない程度にお米が入ったもの。今では多くが顔見知りになった他の宿泊者たちと使われた材料をあてっこしながら頂く。次にモルタデッラハムと生ハム一枚ずつにカリフラワーのベシャメルソース添え。最後はプラムを煮込んだソース状のデザート。カロリーはたぶん一般家庭のそれの半分くらい。それをみんなで静かにでも惜しむように一生懸命食べる。
 
冗談半分に食卓を囲む人たちとその日の食事当番だった修道士や、なぜこの材料がミネストローネ入ることになったかを想像する。ですが、それらの言葉の奥で皆がかみしめるのは彼ら修道僧の皆さんは毎日その食事を(あるいはさらに質素な食事を)感謝しながら食べているという事実。感謝するだけでなく一生懸命にそして明るい気持ちで作っているのだということ。

そのミネストローネを口にするとき、それまで自分がこだわり原始人とああだこうだ言いながらの食生活の中で忘れていた大切な食するという行為の本質的な部分を思い出し頭が真っ白になります。
 
幼い頃、祖母の「お米一粒には仏さんが三体いらっしゃる。残したらあかん、罰があたるで!」口癖のようにいいながら農作業で荒れた手で栗の皮をむいたり、蒸したサツマイモにお塩をふって渡してくれていました。あの味と修道院のミネストローネには似た暖かさがありました。
 
これから日本も大晦日にむかって慌しく動きだすのでしょうね。どうか皆様、良いお年を!

過去の記事

ピエモンテのクリスマス 我が家はこう http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/51/
水の話 http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/39/
雷鳥の森 http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/23/
 
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ストゥピダッジネ(ばかげたこと)

「今日僕はばかげたこと(Stupidaggine)をしてしまったよ」
夫クラウディオが帰宅するとワイシャツを脱ぎながら話し出しました。

夕飯の支度をしていた私は彼がこれまで何百としでかした失敗談にもう一つが加わるのかとすでに吹き出しそうになりながら耳だけかしています。

「今日ねオフィスから郵便局に向かう途中、年配の女性が物乞いをしてきた。今晩自分も子供も食べるものがない。なにか恵んでほしいというんだ。」

この人(夫)は物乞いをする人を見かけると必ず1ユーロくらいは渡します。馬鹿なことしたというからにはきっとそれ以上を渡したに違いないのです。

以前、現金の持ち合わせがあまりないのに自分のお昼代にするはずだった5ユーロを渡し、彼自身は昼食を抜いてしまったことがあるのですがその5ユーロを渡した男がジェラートをおいしそうになめているのに出くわした経験があります。

「、、、で?一体いくら渡したの?」私は10ユーロから20ユーロくらいだろうと検討をつけ、笑ってやる落ちまで想像しながらたずねると

「お金を上げる代わりに近くの肉屋にいってローストチキン一羽とフライドポテトを買って渡したんだ」と彼。「、、、しめて11ユーロだった」と

「その人は品物で受け取って困ったんじゃないの?現金でほしかったんでしょ?」

「ところが僕にすがって泣きだしたんだよ、その人。ルーマニア人で職を失い、子供に食べさせるものがないと物乞いをしても誰も信じてくれない。

だったらなんでもいいから食料をくださいと頼んでもそれを信じてくれる人もいなかったらしい。僕に神のご加護を!と何度も繰り返すんだ。子供に食べさせることができる!と。困っちゃってさ。

僕がやったことはそれでよかったと思うかい?、、、それにしても一体この国はどうなってしまったんだろう!?」

これまでルーマニア人女性といえばイタリアでは家政婦や介護の仕事の口が結構あり、あまり無職という人を見かけたことはありませんでした。

物乞いも浮浪者かジプシー、アフリカ系の人はいても東欧系の人は私たちが住むピエモンテ北東部では多くないようにおもいましたから不況の波は立場の弱い人たちから先に襲っているように思えます。

笑えない話です。国家経済の破綻と薄氷で隔てられてるのみの今のイタリアの実情は1万キロの海の向こうの日本では実感できなくて当然でしょう。 具体的な問題点を挙げてみてもそれは日本で起こっていることと同じにも見えるし、イタリアがこれまでに回避してきたいくつもの困難な時期となんら違いないように思える。

これまではたとえば飲食店や商店は物乞いをする人たちを店内から追い出すことはほとんどありません。 
たとえば私が通う美容院のお兄さんは「わぁああ、お前またきちまったのか!」などといいながら相手になります。それが物売りなら買いはしないけど追い出しもしない。

パルマでは、仕事で入った気の利いたレストランに浮浪者が入ってくるとそこの店主が迅速に手招きして彼を厨房に招きいれ、温かいものを食べさせてから外に出すのを見ました。ここも決して追い出さない。

先日の「イタリア好き」で表紙を飾った老舗のお惣菜店「モスカ」の前にも黒人の物乞いがまるで当然の権利のように常駐していますが、自動ドア一つ隔てた内側のレジ担当のパオラさんは彼を立ち退かせたりしません。

でも何かが確実に変わってきていることを長く住む私たちは実感しています。
その一つはイタリア人一人ひとりの内側の変化が招くものかもしれない。

ビエッラの街中のバールで物乞いをするお年寄りに耳を覆いたくなるほどの言葉で罵倒する女性客を見たことがあります。(そういう言葉を吐ける女性の人相は当然それ相応に下品でしたが、、、)


クラウディオが今朝ルーマニア人の女性に費やしたのは11ユーロと買い物にかかった15分。
お人よしといわれるかもしれません。彼の友人には笑う人は一人や二人ではないでしょう。

でも本来ならカトリックの国イタリアに暮らす彼らが当たり前に考え、行っていたことでしょう。
そんなイタリアでずっとい続けてほしいと思いながら夕飯の支度を続けました。

献立は日本の白米に明太子そしてお味噌汁でした。
世界中の神様に感謝していただきました。




わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

発信!

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