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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

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イヴァーノ・フォッサーティの決意

2月10日夜。原始人にIvano Fossatiのコンサートに連れて行かれました。
凍てついた雪道を車を走らせ、おとなりのVercelli県まで1時間の道のり。ぶつぶつと文句を言いながら、、、とにかくついていきました。

Ivano FossatiはFabrizio De Andre'や Francesco De Gregoriらと並ぶイタリアを代表するシンガーソングライターで、Fiorella MannoiaやPatti Bravoなど女性歌手のためにも多くのヒット曲を書いており、これまでに書いた曲は400曲以上にのぼるそうです。

その彼が、今回のコンサートツアーを最後に事実上引退することを発表。
2月始め、国営放送RAI3の人気番組「Che TempoChe Fa?」の引退特別番組があったことも手伝ってこの日のコンサート会場は超満員でした。

ここに掲載している曲は 『Mio Fratello che guardi il mondo』という貧しい国の子供たちのことを歌った曲です。Ivano Fossatiはクリスチャンであることを大切にしている人のようで、政治的、社会的なメッセージをこめた曲も少なくありません。

彼の引退の理由は、RAIの番組中でも具体的に明らかにはされませんでしたが、他の仕事をしていく決心をしたからだそうです。

番組司会者のFabio Fazioは彼の決心の内容を知っているがどうもそれはIvano Fossati自身の希望で公表しないという口ぶりでした。でもその口元の小さな笑みは、彼の決心を応援しているという感じでした。、、、そうなると知らない私たちにはおせっかいな興味がわくというものです!

たぶんこれが私にとって最初で最後になるはずの彼のコンサートは、彼自身の優しさがじんわり伝わってくるとても素敵なコンサートでした。メッセージ性のある曲も書いている彼ですが、でもお説教くさくもなく淡々と歌い、軽いジョークも飛ばし引退の言葉もあえて出すことなくコンサートはすすんでいきました。


この曲『Mio Fratello che guardi il mondo』を歌いだしたとき、バックに大きくアフリカやアジアの貧しい子供たち、戦争に巻き込まれて食べるものにもこと欠くあるいは瓦礫のやまの中で途方に暮れる子供たちの写真が次々と映し出されました。その中に一枚、真っ青な空の下で小さなキリストの像が瓦礫の下じきになっているのが数秒間だけ映し出されました。彩色の鮮やかな像なのに、空爆の際に顔に受けた傷が生々しい悲しい写真でした。

ふと、この人は音楽活動を止めてこれらの国のどこかにボランティアに行く気でいるのではないかと思い当たりました。間違っているかもしれませんがでも音楽を止めてどこかの銀行員やレストラン経営者になるとは思えませんものね。何か彼自身が自分のキャリアを省みることの無いほど意味があると思えることといえばそういうことではないかと思えてきました。

日本人だって人道援助に力を注いでいる人は大勢います。私が高校生のころからボランティアとか貧困にあえぐ国への援助という考え方がテレビでも取り上げられ(『愛は地球を救う』など)今では先進国の国民の大きな義務として捉えられていますが、私はその夜、また一人静かにそういう活動をはじめようとしている人をイタリアで目の前にしていたのでしょう。

イタリア人の心の温かさは口では表現できない深さを感じることがよくあります。
日本でイタリア語を勉強していた頃、イタリア語教師から『日本人にはPerdono(許し)がない』といわれたことがあります。そのPerdonoの真の意味がわからなくてずっとかぎ括弧でくくっておいたのですが、このごろようやくその慈愛に裏づけされたPerdonoの意味を感じるようになりました。

この大きな疑問を私たちに投げかけてくださった東京のフィリッポ先生は一昨年なくなられたそうです。Ivano Fossatiのコンサート中、なぜかその先生のことをずっと思い出していました。

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イタリアを代表するエノロゴ サルヴォ・フォーティ

農業ウェブマガジン『ZACKZACK』ページ上でお約束しました、地方紙『La Provincia di Biella』の文化欄コラムからシチリア人のワインコンサルタント サルヴォ・フォーティ氏のインタビュー記事をご紹介します。
 
昨年末、日本酒の会に参加された際、原始人がインタビューをして書いたものです。本当に忙しい方でインタビューも移動中の車の中で行いました。
 
エトナのおとこ
 
 
 独創的なアイディアというのは、あまり褒められないアイディアであることの方が多い。中には良いアイディアもあったとして、長い時間をかけてはじめて成果が得られるもので、最初の試みから良い成果が上がることなどほとんどない。さらにいうと、直感に優れた人は実務にはあまり向いておらず、ユートピアを目指し常に荒波にさらわれそうになりながら船出する人が、凪の海面をきりもなく進み続ける粘り強さも兼ね備え、一つのプロジェクトを完結させるケースはことさらに難しい。
 ここで語りたいのは、自分の夢を他が手本すべきレベルで実現させた男の話だ。シチSalvo.jpgリア人、エトナ人、ワイン栽培醸造コンサルタント、彼の名はサルヴォ・フォーティ。
 
 10年以上遡るが彼が活動を始めた当時、周囲の環境はブドウ栽培もワイン生産も衰退の一途にあった。エトナといえば過去には火山がもたらす独特の自然環境とネレッロ・マスカレーゼやネレッロ・カップッチョといった土着品種の恩恵により独特で優雅なシチリアでも最高のワインを生産する地域だった。
 小さな区画の段々畑にはアルベレッロ仕立てのブドウの木が並び、根元からよりそうように伝統的に栗の木の支柱をきっちりと立て、畑を仕切るのは溶岩石を積み上げるだけで築かれた伝統的な黒壁だった。重労働が待っているそんな畑を投げ出すものは時とともに増え、畑は丸裸にされて景観を損なったが、それに止めを刺したのはシチリア産ワインの流行で大手ワインメーカーらが土地購入を一気に進めたことだった。
 彼らは、段々畑をまっ平らに整地し、土着品種から分かりやすく海外で売れやすい国際品種に次々に植え替えを行い、アルベレッロ仕立ての使用を止め、Alberello.jpg栗の木の支柱を引っこ抜くとおぞましいセメントの支柱を地面に突き刺した。
 サルヴォの活動はシンプルかつ革命的なものだ。1435年から活動していたカターニア地域のワイン生産組合『イ・ヴィニェーリ』を復活させると、シチリア人からのみという制限を堅く守った中で若者を採用し、シチリアの伝統的なワイン生産をブドウ栽培から環境に悪影響のない道具選びまで、伝統的なワイン生産をまだ体で覚えている残り少ない老人たちから学ばせた。
 このワイン生産技術を使ったわずか数ヘクタールの土地から2つの素晴らしいワインを生みだすと、
この2つのワインサンプルを名刺代わりに、彼はエトナでのワイン生産へ投資を考えていた人たちに栽培から醸造まで一環したサービスの提供とワイン醸造コンサルタンティングサービスをセットで提案して回った。それはブドウ栽培はもとより農閑期には畑の修復や保全、あるいは石積みの壁を築いたり、果てはブドウの開花に香りの面から良い影響を生み出そうとハーブ類をブドウ畑で栽培するということにまでに至った。
 
『あなた方に要求するのは二点のみです。私に全幅の信頼と資金を与えて下さること、そして仕事の邪魔になるのであなた方は仕事に口を挟まないで頂くこと。』
 
 サルヴォ・フォーティはかなり無口な男に見える、口数は少なく、他人に割ける時間はさらに少ない。多くの人が先のような彼の説得に応じたのは何故だろうという疑問がわく。が、それもわずかな時間で晴れてしまった。
 現在、イ・ヴィニェーリには20名が働いているが、シチリアで最も高額な給与を手にする農業従事者だ。『僕はエトナで最も高額な給与を約束していて、それは月1600ユーロ程度、(訳注:これは手取り額ですが、税金や保険、年金掛け金などを含めれば給与額は倍にちかい額になる。)他のワイナリーは働き手がいなくて困っているだろうが、僕は逆の問題を抱えている。僕のところでは収入があり、仕事を分け合い、尊重もされるから。ブドウの前に人を育てる必要があるんだよ。』
 
 イ・ヴィニェーリのメンバーは彼に忠実で、どんな時間帯でも、どんな犠牲をはらっても情熱をもって惜しみなく働き、今ではシチリアの様々な地域に移動しブドウを栽培をしている、常に同じ精神、常に働いてものを生み出すことに同じ喜びを感じながら。
 が、同時に各地で栽培し生産すること以外に、人も育てている。栽培醸造という仕事は現地でそれを続けていく人が必要で、無駄にかけられる時間はない。
 現在、イタリアのみならず海外でもサルヴォへの評価は高まり、いくつかの賞も贈られた。イ・ヴィニェーリによって生産されるワインたちも名品と謳われる。サルヴォはエトナ地域とワイン造りの伝統に基づく彼のワイン哲学を『La Montagna di Fuoco』という一冊の本にまとめた。様々なエピソードが織り込まれ読みやすいこの本には彼の人となりが深く読み取れる。
dilice.jpg ある日、彼はトキワガシの林の奥にのびる道を走り去るネブロディ豚(訳注:ネブロディ地域にいる半ば野生化した豚。捕獲し食用となる、ネブロディの名物。)を見つけオフロード車で追っているうちに標高1400メートルにある開けた土地に行き着いた。そこは眠るようにしてあるブドウ畑だった。そんな標高の高いところにブドウ畑があろうとは彼も思ってもみなかった。
 一人で世話をしていた老人によると、標高が高くブドウは完熟に達することできずにロゼワインになるといった。粘り強く説得を続けても畑を売ってくれようとしなかった老人だが高齢のためこれ以上は仕事ができないと悟った時点で、ラバを使って耕せと言い残し彼に畑を売り渡した。サルヴォはラバを飼うことにした。ラバの名はジーノ。イ・ヴィニェリの有能なメンバーとなり仲間と一緒にシチリアのブドウ畑を巡って活躍している。
 
 サルヴォ・フォーティの起こした奇跡の中でも真の奇跡は、世の中が外国人労働者を最低の賃金で雇う、さらに悪質な場合は彼らを酷使して農業経営を続けるケースが増加する時代に若手労働者を雇用し、高い賃金を払い、土作りから教えこみ、さらに出資者には彼らの提供するサービスに対し市場平均価格の約5倍の代金を支払うことを納得させ、同時に彼らから大きなの信用を得ていることだろう。
 個人の生活とプロとしての責任、狡猾さと透明性、気まぐれと信頼性、ヒエラルキーと親しさそして計画性と即興性、彼はこれらに適切な折り合いをつける能力を常に試される立場にいる。
 
 『自分のワインをブドウから作ろうと思うなら、僕の関心、僕の努力、僕の集中力はブドウ畑に注がれなくてはいけない。いったい何人のオーナーが自分のワイナリーに訪れる人を畑に連れて行き、そこで働く人と話をさせようとするだろう。僕はシチリア人のことが良くわかる。例えば、エアコンの効いた黒ガラスのランドローバーに友人を乗せて畑にやってくるオーナーがいる。彼の畑をクワで耕しているお百姓に手をふるだろう。が、そのお百姓が考えているのはただ一つ、彼らは気にしないこと、少なくともお百姓は彼らになんの注意も関心もはらわない。オーナーがそのお百姓と人としての関係を築いていないから。だがそんなタイプのオーナーたちはこぞって自分のことをかっこよくヴィニャイヨーリ(=ヴィニュロン)と呼ばせたがる。
 全ての人間関係には責任がともなうだろう。そんな人たちは友人やジャーナリストと自宅に戻って一緒にワインを飲んだらおしまい、、、ところがいったん人間terrazza.jpg関係を築きだした相手には、翌日にもう必要ないから来なくてもいいとは言えない、君はその人を自分の人生に招きいれたからだ。
 僕がたとえば今日、それは日曜であったり、復活祭やクリスマスかも知れないが、畑で30人である作業を行う必要があるとして、僕は仲間の誰かに頼み込む必要なんてない、、、電話の受話器を手にとって『お前たち、ここでこういう問題が起きた、、、』といいさえすればいい。
 ブドウの苗木を畑に植えるのだってトマトの苗木を植えるのとはわけが違う、ブドウの苗木は自分の子供の代のために植えるものだからだ。ブドウの木は尊重されるべきだ、自分たちに仕事を与え、僕たちの土地への蓄えになる、急に翌日なくなってしまうものではないのだから。
 活動を始めた頃は様々な問題が起きた、時には重大なものも。わかるだろう、僕たちはシチリアというとても特殊な環境で暮らし仕事をしているからね。とにかく『その種類の問題』も解決したよ。僕が自分からある人たちのところに出向いていってこう言ったんだ、僕は人々に仕事を与え、生活の糧を与えている、それに問題があるならそう言ったらいい、ただし、僕の顔をみて話して欲しいと。その後、彼らとの間でトラブルが起きたことは一度もない。』
サルヴォ・フォーティ、50歳。ブルーグレーの瞳で率直に相手を見つめるウ・ドゥットゥーリ(訳注:シチリア方言でドットーレ(先生)の意)。さあ、何時でも出発できますか?どこにでも、どの畑にも? 今すぐにでも?
ウ・ドゥットゥーリ、あなたは知識と規則を私たちに教えてくれる人です!
 
www.salvofoti.it
www.ivigneri.it

 
文・クラウディオ・ガッリーナ 
2011年12月10日付『La Provincia di Biella 紙』掲載
訳・岩崎幹子

 

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イタリアの誇りギタリスト、エドアルド・カテマリオの音色を

2009年、ソルデボロ村の村営放牧小屋でも特に古くから存在する小屋が雪崩れで倒壊。その修復のためのチャリティーコンサート出演のお願いを心よく受け入れてくれたのは世界を舞台に活躍するクラシックギターリスト、エドアルド・カテマリオでした。

     その当時のぶじゃねんの記事 http://bogianen.blog.shinobi.jp/Entry/40/ 
catemario-Portrait-Quagli-3.jpg
 
たとえばトスカーナの小さな村の中央広場の肉屋、狭い店の奥で窓からミートボールを力強くこねる主人の手を思わせる、そんな幸せに太った彼の指が彼の分身ともいうべきギターの上で踊りだす時、

その響きの軽やかさ、正確さ、忠実さ、高貴さなどといった様々な色彩に聴衆は魂ごと魅了され、心が温められ、それほど繊細には見えない指先に騙されたことに小さな喜びすら感じ、ギターという楽器のもたらす恵みに感謝せずにはいられなくなる。
                                                                     
『彼のギターを日本の皆さんにも聴いてもらえたら!』
 
この思いは、特に昨年、ドイツグラモフォンが発表したベストアルバム『Guitar Gold』に、現代ギター奏法の父と呼ばれるアンドレス・セゴビアに次いで収録曲数の多いギタリストがまさにエドアルド・カテマリオだったことでその思いは一層強くなりました。

http://www.bedroomrockers.it/classica/artista/discografia/?ida=613668 
(52曲中半分はセゴビアですが、13曲がカテマリオ、他をイェペスなどが占めています。)

このアルバムは過去の一定期間(10年から20年間)に行われた録音演奏から著名な重要曲を選曲した上で各曲についてドイツグラモフォンが最高の演奏と認めたものを収録するという貴重なベストアルバム(3枚組み)です。しかも演奏者中唯一の現役ギタリストはカテマリオ。
 
ナポリ男らしく饒舌で、それでいて音楽だけでなく周囲の人に対しても謙虚であることを忘れない人。5歳で初めてリサイタルを行ったとき、ギターの方が自分の体より大きかったこと、

彼の最初の先生はフランツ・リストの愛弟子であった人の娘でしたが、その気難しい老婦人は彼がミスをするとその小さな子供の耳を引っ張り長い廊下の端から端まで引きずって御仕置をした。そんな話を臨場感をもって語るエドアルド。その人としての温かさにふれるとなぜ彼の演奏に心が動かされるのか納得がいきます。
 
その後も音楽的才能を『努力』というもう一つの大きな才能をもって伸ばしていったカテマリオ。彼にその音色を一度でいいから日本の皆さんに聴かせてもらいたい。
 
この度、神さまの遊び心でとしか説明しようのない不思議な縁でお付き合いをさせていただいているソプラノ歌手田村あきこ先生と国際芸術連盟のご尽力で私たちの小さな願いが実現されます。

国際芸術連盟作成によるエドアルド・カテマリオのプロフィール
http://www.jila.co.jp/?cat=7


田村先生と国際芸術連盟のお力添えがなかったらこの日がこれほど早く訪れることはなかったでしょう。皆さんに心から感謝しつつエドアルド・カテマリオ初来日公演の日程をお伝えしたいと思います。
 
日本のゴールデンウィーク期間でもあります。東京近郊で遠出のご予定の無い方は是非会場に足をお運び下さい。
 
2012年4月27日(金) 19:00開演 18:30開場
エドアルド・カテマリオ 湊ゆかり&湊まゆみ ジョイントリサイタル
日 時・会 場東京オペラシティ リサイタルホール
料 金 一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年4月29日(日) 19:30開演 19:10開場
エドアルド・カテマリオ 田村あきこ ジョイントリサイタル
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール
一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年4月30日(月・祝) 14:30開演 14:00開場
エドアルド・カテマリオ 松本まりこ&桑原春香 ジョイントリサイタル
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール
一般 4,000円 学生 3,500円 (全席自由・税込)
 
2012年5月1日  名古屋公演(詳細は後日お知らせいたします。)
 
詳しくは 
チケットは各コンサートホールへ
ブログラムと詳細は国際芸術連盟HPをご覧ください
http://www.jila.co.jp/?tag=may
 
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イタリアチーズ、アルペッジョの誇り『ベッテルマット』

昨年9月から原始人はビエッラの地方紙にコラムを書いてきました。イタリアの食に携わるパーソナリティを紹介する記事はそろそろ19回目を迎えます。
 
地元のこれを思えるパーソナリティーを探すのはなかなか難しい。でも時には思いもしない出会いがあります。
ここにそのうちの一人を紹介したいと思います。
ピエモンテのスイス国境沿いに住みチーズのロールスロイスとまで異名をとる高級チーズ』ベッテルマット』の生産者フランコさんです。 
Franco.jpg
私が紹介するより原始人の記事をそのまま訳す形で紹介したいとおもいます。
 
フランコさんは私が住むソルデボロ村のマルガリと呼ばれる酪農家の人たちとちょっと違います。きれいな一戸建てに住み、そして特にとてもきれいなイタリア語で話をしてくれます。
たしかにサロンの本棚には積みきれず落っこちそうなくらい本が並んでいました。
 
Cantina.jpg
マルガリの人たちと同じように山に登り電気も届かない山小屋(アルペッジョ)でチーズを作る人ですが、なにか私の尊敬するテオバルド・カッペッラーノを思い起こさせる強いものを感じました。

ずっと何だろうと考えていたのですが、それはたぶん、周囲の価値観に流されない自分のもの作りの観念がしっかり出来上がっていることからくると思いました。
一緒にいてそういう穏やかな安心感があり、決してそれに作りものくささとか、媚がない。
 
ではどうぞ、、、

ベッテルマットについてのZACKZACK記事

バーニャカウダとボンジョヴァンニおじいちゃん

年が明けました。日本では大きな困難に苛まれ、厳しい試練に立ち向かわなければならなかった。そして仮設住宅などで新年を迎えられたかたたちも多いとおもいます。新しい年を迎えそういう皆さんが少しでも明るい気持ちで過せる元気な日本に戻ってくれることをイタリアから願っています。
 
さて、今日は古くは貧しい農家の人たちが一年間の厳しい農作業に耐え冬の寒さが厳しくなるまえの今の時期に皆で方を寄せ合い温まりながら食べていたピエモンテの伝統料理バーニャカウダの話をしましょう。
 

 
たとえば原始人に人生の中で一番大きな意味を持つ料理は何かと聞いたなら、彼は迷わずに『バーニャカウダ』と答えるでしょう。
サルバドール・ダリも「イタリアが世界に残した最も偉大な遺産」と称えたというこのピエモンテのお鍋料理。
日本でもかなり知られるようになり、ピエモンテの伝統的なレシピがかなりアレンジされて紹介しているものもあるようですが、こちらの伝統的なバーニャ・カウダを愛する人たちのこだわりは各家庭に伝わる伝統レシピや地域の野菜にあります。
 
まず、バーニャカウダは一人や二人で食べても美味しくない!友達も一人二人じゃつまらない。あっという間に8人から10人は集まってしまう。
みんなの集まるその日、原始人はまず早朝4時にはベッドから抜け出し、車に飛び乗ると自宅から車で2時間のNizza Monferratoへ。
ここにはバーニャカウダには欠かせない野菜。カルド・ゴッボを作りの名人おじいちゃん、ボンジョヴァンニさんが住んでいます。
彼との約束の時間は朝の7時。7時にはおじいちゃんは約束をしておいた野菜を木箱に用意し待っていてくれます。彼はそれを受け取ると一目散に職場へ、、、そうしてでも新鮮なおじいちゃんの野菜で頂きたい!
彼はこの道50年以上のベテラン。彼の畑はカルド・ゴッボの栽培にうってつけのきれいな砂質。夏に背丈の伸びたカルドを秋になると一つずつ地面に掘った穴に折り返してやらなければなりません。これが難しい。
カルド・ゴッボは70年代に一度は人気がピークになり、ついで質の悪いカルド・ゴッボ(美味しくなるまで成長を待たずに出荷することろが増えた)が市場に流れたため敬遠されるようになり栽培農家が激減。おじいちゃんはそんな状況が悲しくて自分はこつこつと昔ならながらのカルド・ゴッボ生産を続けてきたし、また食通たちのクラブに登録してPR活動もやってきた。それが認められて2006年にはスローフードから保護農産物として認定も受け、ボンジョヴァンニおじいちゃんはカルド・ゴッボ作りのマエストロとして70歳を越えた今でもイベントがあれば出かけていってバーニャカウダとカルド・ゴッボを振舞っています。
 
バーニャカウダをつくるこの日、私も出かけていっておじいちゃんの写真を撮ろうとすると、『ちょっとまて!!』といって作業場の奥に隠れてしまいます。何をしているの?『着替えとる!!』、、、しばらくしてトコトコ戻ってきたおじいちゃん。でも服装は前と同じ。『足元を見てみろ!これでないといかんわい!仕事をするときはこれが一番!』
 なんと木靴! オランダのものにも見えますが、確かに以前は農作業をする人は木靴を履いていたそう。仕事がしやすいそうです。硬い地面でもぬかるみでもどんと来いといったところでしょうか?
 
この日のお客人は3人、こじんまりと5人のバーニャカウダでしたが、バーニャカウダにこだわりのある人たちばかり、おじいちゃんの作ったキャベツ、ミニパプリカのワイン糟漬けらがバーニャカウダ通たちをうならせました。

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わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

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