忍者ブログ

ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ソルデヴォロ村の大地獄!!



ソルデヴォロ村の夏休みを飾る1ページには誰もがこの澄み切った清流エルヴォを挙げたいでしょう。
私も年に、二、三回は泳ぎにいきます。いい年をして?

村の人たちには『My Lama(淵)』があります。エルボ川の所々に深い淵があってプライベートプールになります。早めに行かないとでも他のひとにとられてしまう。

エルヴォには私は行ったことのないインフェルノーネ(大地獄)という場所があって、岩をよじ登らないといけない、それはそれは深い、すごーい淵があると教えられました。

でもその場所は屈強な若い男子でないと、しかもロッククライミングの経験のあるものでないといけないと言われました。連れて行ってやることができなくて残念だと。

去年からそこに私でもいけるようになりました。ヴィアフェラータを作ったのです。ソルデヴォロ村と隣のムッツァーノ村が出資、約8万ユーロ(1千万)をかけ、専門の登山家グループがその設計計画と工事の実施を行いました。

ヴィアフェラータとは聞きなれない言葉かもしれませんが、イタリア語で鉄で作られた道という意味で、このような施設は世界中でこの言葉が使われています。きっとイタリアで生まれた言葉なのでしょう。

Inoxのステンレス金具を岸壁などに打ち込んで足場をつくり、専用の防具があれば移動が可能になるというもの。

プロのアシストがないと行けないと聞き、自分は無理かと思っていたのですが、友人のアレッサンドラがさらっと簡単に誘ってくれ、家族には内緒ででかけました。

ちょっと怖かったけど、エルヴォの本当にきれいな部分を、景観を損なわずに見せてくれるヴィアフェラータに感謝です。

しかも、体中のありとあらゆる筋肉を使うのでいい運動になります。所要時間はゆっくりで3時間。

今度はBBQセットをもって出かけたいなあ、、、。

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
PR

静かに絵筆を執る女性

ヴァレンティーナ・ピアチェンツァといいます。
ビエッラを代表するカシミアメーカーを経営するピアチェンツァの末裔として育った彼女。

ビエッラを代表する繊維企業のいくつかだそうなのですが、ピアチェンツァ家も1800年代から自然公園を整備するなどCRS(企業の社会的責任)のさきがけともいうべき活動を行ってきました。
彼女のオフィシャルサイト www.valentinapiacenza.com           
ちょうど5月待つにはシャクナゲの花がその公園には満開でみごとでした。そういう環境に育った彼女は、それは運命に恵まれていたかもしれませんが、自然との関係は密でした。

ヴェネツィアの美術アカデミーで学んだ後も、フィンランドやオーストラリアで勉強を続け、彼女独自の水彩画の世界を生み出しているとおもいます。

名家の生まれであることがかえってあだになったとは思いたくありませんが、彼女の存在を知る地元の人はあまりいない。彼女のオーストラリアの色彩なんだけどそこにイタリアンな色調がみられ、なおかつここまで柔らかく自然を描けるのは素晴らしいとおもいます。

だから外では評価が高くても地元であまり取り上げられないのは残念で、せめてブログで紹介したいと思いました。

個展の最終日には子供達を集めてデザインのワークショップを開きます。
なぜか、私はお手伝いで当てにされてしまっています。

行かなきゃ。
では 
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村

ビエッラから日本へ

これまで長い間留守にしていましたが、その間に東日本大震災がおこってしまいました。

私はちょうど神戸からきていた友人を迎えに車で移動しているあいだに車中で聴いていたイタリア語ラジオ放送で第一報を得ました。

あれから2ヶ月以上が過ぎ、イタリアでも連日伝えられていた日本の情報も今ではほとんど語られなくなりました。

日本で伝えれられる情報とイタリアで伝えられる情報のギャップに戸惑いと時には怒りも感じながらはじめの一ヶ月は過ごしました。

そして、今自分に何が出来るのかという問いかけはイタリアに住む多くの日本人もしていたと思います。自分も例外ではありません。
それは震災直後に一日40本もの電話がかかってきて私の日本の家族の安否を気づかってくれたり、援助の申し出をしてくれる人があとを絶たなかったからです。

彼らの気持ちを日本に届けたいが、いったいどうやたらと考えました。答えは意外と早くみつかり、
いつも一緒に活動している慈善団体ピエトロミッカを通じての義捐金募集へとつながりました。

こうして次の1ヶ月が過ぎました。口座はまだあけてあります。思い出したように募金をしてくださるビエッラの人たちがまだいるからです。

私にできることというよりもやらなければいけないことはまだあるようにおもいます。
チェルノブイリの原発事故による放射能被害に苦しむイタリア人はまだまだいます。

たとえばイタリアにはバセドウ病に悩まされている人が多くいます。
私の周囲にも数え上げれば10人はいるでしょう。私の義理の弟も含まれています。

彼らの原発に対する恐怖は大きなものがあります。
そして市民の恐怖をあおぐかのようにいい加減な数値で福島の放射能事故のことを伝えるイタリアのメディアが存在しています。

イタリア国内でブームだった和食レストランでも客足が減り、ビエッラの街の魚屋にも日本近海でとれた魚が入ってきていないのかと問いただす客がいるそうです。

これらの恐怖を払拭するのはどうしたらいいのか、、、
まず、世界各国に散らばり、日本と仕事をすることでここまでやってこれた私たちがなすべきことと考えます。

いつか被災された東北地方の方たちがまたイタリアに元気にやってこれる日を願って
またこのブログでイタリアの明るい話題をお伝えしていきたいとおもいます。


にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村


 

ソルデヴォロの『キリストの受難劇』 グイド編




グイドは原始人の幼馴染です。でもなんにでも斜に構える原始人とは逆に彼は熱血漢。

彼の演じるローマ兵隊長は、主要キャストではなくてもピラトを支える大切な役。
彼は代々ローマ兵隊長役を演じてきた家庭に生まれたからそれをやっているわけではありませんが、やっぱりグイドのような他人にはこの役回りしかないでしょう。

彼の普段の喋りのテンポはラップ系。台詞回しもやっぱりちょっとラップ系。
でもいつも一球入魂で役柄に挑みます。
ローマ兵達はキリストの死刑をピラトやヘロデ王に求めて興奮する民衆を力で抑えること。

民衆役も体当たりでぶつかってきますからローマ兵も黙っていません。
一度、原始人がピラト役で、馬に引かれたチャリオットに引かれて神殿に着いたことでの乱闘シーンで、そのあまりに激しい衝突に、驚愕する妻プロクラをピラトが片腕で抱きかかえて神殿の階段を駆け上がったことがありました。

観衆は、それも演技と信じ込んで拍手喝采!舞台裏ではピラト役の原始人とプロクラ役の高校生アンジェラが流れ落ちる冷や汗をふきとりながらため息をついていました。

一つのタイミングがずれたら大切なお芝居の最中にけが人が出たり、悲しいシーンが喜劇になってしまう。その芝居運びの重要な役回りが兵士達だと気づいたグイドは自分が兵隊長の当番の日は役割分担を打ち合わせ会で決めることにしました。

たとえ台詞まわしがラップ系になっちゃっても、彼のいる回はなにもかもが上手く運びます。

ところが実際、これをやらない兵隊長の時にはたとえばイエスの裁きの場に引き出されて、民衆はイエスを裁きバラバに恩赦を与える。
そのバラバがあれ!?出てこない。ピラトが兵士役に『バラバがいない』と小声で耳打ちして初めて兵士達がそれに気がつくということが起こります。でもその声はマイクからもれていたりして、あああああ!!舞台全体に冷や汗、、、が流れるということがあったんですよ。

あとはいばらの冠がでてこない。出てきちゃいけないところにひょっこり2人の泥棒がでてきちゃったりね。

お芝居全体が壊れなくとも、こういう小さなかわいいミスがおこってしまう。グイドはそれを防ぎたいとまるで本物の軍隊をまとめる感じで指示をだす。

最初はその様子をくすくす笑いで見ていたほかの演技者たちもシーズンの終わりかける8月の終わりごろには、みんな彼に評価のまなざしを送っていました。


にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村

ところでソルデヴォロの『キリストの受難劇』って?



  皆さん当然ご存知でしょうとソルデヴォロの『キリストの受難劇』を語りだすのは横柄というもの。

 まず、『キリストの受難劇』あるいは『聖劇』といわれているものはキスリストがエルサレムに入城してから十字架に架けられたのち復活を遂げるまでの苦難を描いた演劇で、復活祭の時期にはイタリア各地で住民によってこれを演じる伝統があります。

 たいていは、復活祭前の金曜日『聖金曜日』に行われますがソルデヴォロ村のものは6月から9月まで全体で30回以上というロングラン公演。

長丁場ですから大変。費用ももちろんかかります。ではなぜ、ここまで大掛かりになったのか、、、。

 まず、その起こりですが、ビエッラ地方観光局の
HPでせつめいしたように、脚本は、1490年ごろフィレンツェのジュリアーノダーティという人がローマにあるサンティ・マルティリ・イン・トラステヴェレ教会のために書き、ゴンファローネの信者会による劇団が毎年前述の聖金曜日にコロッセオで上演していたようです。

 ところが1539年ルターやカルバンらによる宗教改革運動が激しくなるとローマ教皇パオロ3世は民衆らによるこのような宗教劇を禁止しました。

 ゴンファローネの信者会は彼らが使っていた台本を絶やすに忍びず、ローマを訪れていたソルデヴォロの毛織物商アンブロゼッティにひそかにピエモンテに持ち帰り保管してくれるよう依頼します。こうしてこの台本がこの村の住民の手に渡った。そういう説があります。
 その台本をもとにソルデヴォロでこの聖劇が上演されるようになったのは1816年から、かれこれ200年の歴史があるわけです。
 
 30回のロングラン公演を毎年行うわけにはいきません。5年ごとがやっと。人口たった1300人のこの村で毎回200人のキャストとその舞台裏に携わる人たちを含めれば400名で動かすこのお芝居。文字通り村中総出の参加でなければ到底開催は無理。
 
 ドイツにも10年に一度こういいた大規模な聖劇をすることで有名な町がありますが、こちらの場合はすでにビックビジネスに成長し、監督などは専属のプロにまかせているようですね。

 ところがソルデヴォロ村ではこれまで監督も役者も、衣装係もみんなボランティア参加。お給料をもらえるのはミキサー1名と百人隊長らが乗る馬に駆けられる保険と維持経費くらい。
 
       だからみんな必死です。あの必死な様子をみてると、ただ単にお芝居をやっているのではなく、村中で何かをやり遂げる結集する満足感と、自分たちの演技に拍手を送られたときのいじらしいくらいの誇り、それがあまりにも素朴で、無垢で観ているものをほのぼのとさせてしまうのです。その根底にはやっぱり彼らの信仰心の厚さを感じます。

 私は、彼らと一緒に舞台裏にいてそれぞれのパーソナリティを発掘していくのに楽しみを覚えてしまいました。400人全員は語れません。でも数人をご紹介してその雰囲気を伝えられたらと思います。 
 
 次回はその一回目原始人の幼馴染でグイド。 ローマ兵隊長の役でした。

 
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村

わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

発信!

ビエッラのショッピングガイド


より大きな地図で ビエッラ・ショッピングガイド の詳細はここをクリック

ブログ内検索

アクセス解析

忍者アナライズ

Copyright © ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]