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ピエモンテからぶじゃねんの陽だまる山郷生活

BENVENUTI ALLA CRONACA DEL BôGIA NEN ! ピエモンテの山郷でのんびり生活しています

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ぶじゃねんのごぶさたしております


なんと3ヶ月以上もごぶさたしていたのでした。ブログの更新をしていなかったあいだ私の健康を気づかって何人もが連絡をしてきてくださいました。ありがとうございます。

 私はお蔭様でこれまでに増して元気です。 今後は数回は2本の事柄を軸にお話したいとおもいます。
一つはぶじゃねんの「ボッテガ奮戦記」そしてもう一つは原始人の「俺さまはピラトなり!」

 まず原始人ですが、今年は我がソルデヴォロ村の重要な伝統行事で5年に一度行われる「キリストの受難劇」の開催年にあたっています。
Da 20100328

 普段は一匹おおかみを気取る原始人も受難劇のシーズンが近づくとそわそわ、、、。

「ふん、今年は頼まれたって出てやらんワイ!」と強がりを言ったかと思うと

「ほら、今年ももりあがるぞお」とやる気満々をくりかえし、とうとう配役オーディションの時期がきて、今年もローマ執務官でキリストに死刑を宣告するピラト役で申込書を提出しました。

結果、今年もピラト役で出演がきまったので、今回は特に原始人を中心に「ソルデヴォロ村のキリストの受難劇」をお伝えしようとおもいます。

 で、もう一つ。実は昨年10月のある日、ソルデヴォロ村の村長リッキーが私を探しているとあちらこちらから連絡がありました。
Da La Bottega di Sordevolo

変なの、家に電話してくればいいのに、、、。でも、なんとなく嫌な予感がしたのです。

で、こちらからはあえて連絡しないでいると本当に本人から呼び出しがあって、
「お前、ソルデヴォロ村のアンテナショップLa Bottega di Sordevoloをやれ」と、いきなり半分命令のような打診をもらいました。

事情はこうです。
『昨年9月末にオープンしたアンテナショップを切り盛りしていた女性が別の仕事を見つけて3ヶ月で退職することになり1月から新しく運営を任せる人を探していて、私の顔が浮かんだ。

日本人がビエッラ特産トーマチーズを売るなんて面白い。俺の感は意外と外れないんだいつも、、、。
ただし、営業実施責任者資格RECをコースに通って取得すること。』


隣になんとなく座って利いていた原始人が「RECぐらいお前とれるよなあ。その辺の商店のばあさんだってもってるんだから!楽勝!らくしょう!」と後から背中をおされます。

 私がイタリアでとうとう定職につくのか、、、。悪くはない話です。、、、そう思えたのです。
でも、これまでビエッラ地方観光局と一緒に5年間やってきた日本向けのPR活動は無駄にはできない。

 アンテナショップは他の人にできてもビエッラのPR活動に私の代わりはそう簡単に見つからない。そのくらいの自負を私が少しくらいもっても皆さん許してくださるでしょう?

 リッキーいわく「それもお前、おまえを選んだ一つの理由だよ。ただのお店のきりもりじゃあないんだよ。観光PRもやってもらうんだよ。おまえぴったりだろう。日本からお客さんがきたら別の従業員がいるんだかラ心配ない」

 なんとなくその場のいけいけムードに押されて最終的には「うん」といってしまったのでした。

 さて、その結末やいかに!? 私は選んではいけない導火線に火をつけてしまったのか!?

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『ボンジョルノ(La Stampa紙)』から『スコットランドの小作人』

イタリアの主要紙『La Stampa』の一面に同紙副編集長のマッシモ・グランメッリーニのミニコーナー『Buongiorno』はイタリア版『天声人語』みたいなものでしょうか。そこで2002年10月4日彼は次のとおり書いています。

『-スコットランドの小作人-

 農作業をしていたところ、スコットランドの一人の小作人は近くの沼の方から助けを求める叫び声を聞いた。底なし沼でおぼれかけている子供を見つけると自分の命にまで危険は及んだが彼はその子を助けた。

 その子供の父親は貴族で、その事件がおこった同じ日の夜には小作人の家のドアをノックし、お礼に小作人の子供の学費の面倒をみようと約束した。

 こうしてその小作人の子供はイギリスでも最高の学校に通うことが出来、医学部を卒業。医学の道で名を高めることとなった。その人こそ、ペニシリンの発見者「アレクサンダー・フレミング」である。

 その後、小作人が救った貴族の子供は重い肺炎にかかったのだがペニシリンのあったおかげで回復した。ちなみにこの子の名は「ウィンストン・チャーチル」。ヒットラーの侵攻を阻んだイギリスの首相である。

 後に何が起こるかなど想像だにせずこのスコットランドの小作人の些細な人助けが人の歴史を二度も変えることになった。

 あらゆるニュースの集中砲火、把握もままならないさまざまな事件に翻弄される僕のような者には、ネット上から取り出したこの実話に首筋を柔らかくマッサージしてもらったような気がした。

  あらゆるものが自分たちの手では収集のつかなくなり、シニズムだけがこの混乱した世の中の唯一の解毒剤であるかのように、僕たちに浸透し凝り固まってしまったこの無力感と戦ってくれている。

  実は僕たち一人一人のとる行動は、他のどこかの何かにいつもつながっているのだ。それらははっきりとした役割を持ち、たとえその行動をとった人の意図とは別の結果になろうと、あるいは結果らしいものがなかったとしても、たとえその時点でシナリオ全体を知ることができなくてもだ。』

 朝刊の1面でこの記事を読んだとき私も原始人も何か不思議な安堵感を味わい、なんだか嬉しくなったのを覚えています。

 『Bongiorno』が一冊の本として2002年末に刊行されたのですが、そのプレゼンテーションにビエッラを訪れた作者、原始人の旧友でもあるマッシモに久々に会った際その話をすると

 「あの記事ね、、、あの後さ、読者の何人かがメールが送ってきてね『小作人のエピソードは他の史実や年代とかみ合わないからそれは嘘の話だ』ってね。」とマッシモ。

 「それは問題じゃないんじゃないかな。お前が言いたかったのは事実か否かじゃないもんな。」

 「そうだろ!君はわかったよなあ、あの記事にはGioiaがあるんだよな。」マッシモは目を輝かせて原始人にそう頷きます。

 あのエピソードを読むとそこには「Gioia(喜び)」が見えてくる。どんな小さな人の行為も最後にはこの地球を形作る一部なのだから自分たちはもっと自分の行動を注意深く見つめるべきだし、それは素晴らしい意味をもっているのだいうメッセージだ、、、ってことだよなあ!と中年男二人は肩を組んで喜んでいました。

  マッシモは確かにその記事を彼の本の巻末に加えるとこう書き足しています。

『幾人かの読者からこのエピソードには矛盾が多すぎて信憑性に欠け、作り話でしかないと指摘を受けました。いずれにしてもこのエピソードが伝えるメッセージは絶対の真実です。』

  あれから7年ちかくが経ちますが、私の田舎暮らしにも情報や『もの』がますます溢れて私では収集がつかなくなるときがあります。するとこのマッシモと原始人のコメントを思い出します。結局、何をどう理解するかは自分たちの頭ひとつ。

  とうとう2010年に突入してしまいました。さあ、私も錆びついた頭に油をさしてぇ。ねじをよーく締めなおさないと。

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ピエモンテのクリスマス ぶじゃねん流 -その3-


日本にいた頃、クリスチャンでない私には他の大多数と同様クリスマスは単純に大切な人にプレゼントをして、何か美味しいものを頂いてというエキゾチックなイベントとしか映っていませんでした。

 10年前、イタリアに移住した一年目のクリスマス。原始人が「商業主義に凝り固まったクリスマスをお前には見せたくない」と強引にあるところに連れて行かれました。

 チステルチェンセ系修道院「プラ・ドゥ・ミル(Pra d'Mil)」です。ピエモンテもフランス国境に近いアルプスの麓の村から車でさらに20分、ほとんど陽のあたらない荒涼とした自然の深い谷あいにぽつんと存在しているこの修道院では修道院長のパードレ・チェーザレ以下わずか5人の修道士が生活しています。

 私はクリスチャンではないことを知っていてもイタリアの教会の関係者はどこでも私を笑顔で彼らのコミュニティーに取り込んでくれます。それは10年前、言葉にもそれほど自信がなく周囲から取り残された気持ちに陥りかねない不安を取り除いてくれた人たちでもありました。だから私は今でも教会に行くのが好きです。

 正直、福井の永平寺で生まれ育った私からあのお寺の空気や体にしみこんだ仏教文化を拭い去ることは難しいです。でも、同時にこの小さな修道院で過ごすクリスマスに他で得ることのできない心の穏やかさを得ていて、10年間毎年ここに通ってきました。

 このビデオはイタリアのSAT2000が2008年制作放映し今でもネットで公開しています。イタリア語なのでインタビュー内容をすべての方に聞き取っていただくことは難しいかもしれません。
 
 が、それがたった5分でも彼らの穏やかで澄んだなまなざしや質素でも強い精神をもって彼らの神に仕える姿を知っていただけたら、イタリアではクリスマスをこんな人たちと過ごす者もいるのだと知っていただけたら嬉しいです。

 日本にいたときの私にはただ祝うだけのクリスマスが、今ではイタリアでキリストの誕生を確かめ合いその意味をともに考える人たちの間で過ごす時間に変わりました。

 信者でない者にはキリストの誕生、あるいは復活の奇跡に確信がもてないと仰られる人もいるかもしれません。
 実は肉体的、物理的にその事実を肯定することも大切ですし、多くの文献その他がその事実を証明していますが、でも実は私から見ればもっと大切なのはその奇跡が語っている事柄、そしてそれを繰り返し信じてきた人が20世紀を経て今も存在しているということなのではないかと思います。

 『聖書の言葉を頼りとし祈りとして何千回、何万回とその言葉を繰り返し口にしてきた、2000年も繰り返してきた事実がまさに真実を自分たちにもたらすのではないか。』何年か前にあるイタリア人が私にそういったのを思い出し、自分がそうして祈りをともにしている人たちとクリスマス・イブのその夜を共にさせてもらえた事はやはり神様に感謝したい 、、、と。

 そんなことを考えながら今年10回目の『Pra d'Mil』修道院でのクリスマスのミサを終え再びソルデボロ村に戻ってきました。

 マンマの作るアニョロッティ、モスカさんのクリスマス用虚勢牛の品評会そして今日の修道院のミサと三回で私のクリスマスの過ごし方をご紹介しました。

 どれも華やかさとはかけ離れた世界ですが、軽薄さやコマーシャリズムを寄せ付けない私たちのそのままの生活の1ページを切り取りました。どれか一つでもお気に召して頂けたら光栄です。
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ピエモンテのクリスマス、ぶじゃねん流 -その2-

毎年12月の第1水曜日にこの去勢牛の品評会がここモンフェッラートの街モンカルヴォで開かれます。
ピエモンテの肥育家と精肉店にとってはカッル地区の品評会と並んで重要なイベントです。

 カッルのものの方がどちらかというと有名ですが、モンフェッラート地区の人に言わせればモンカルヴォの方をプロがより好むといいます。

 先日、モスカさんの牛の品定めと買い付けの話はしましたがその成果が試される大切な日です。
 2009年『Fiera di Bue Grasso』、アルベルトはちょっと心配ぎきでしたが、とにかく夜明け前に牛を肥育農家の厩舎から引き出しトラックにつめ出発。

 この日はお天気も良く、去年のように雪に悩まされることもありませんでした。それでも、なんとなくこのイベントの運びはのんびり、司会者も肥育家の名前や住所を読み上げてそれが間違っているのを指摘されるとマイクにむかって「ああ、間違えてるそうです。私もぼけてきています」とか。ちょっと「おいおい!」といいたくなるのんびりさ。

 アルベルトはこういうの苦手なんです。ただでさえ忙しいから。あせらせちゃう。

 5時に出発して表彰式が終わる午後2時過ぎ。振り返ってみると、今年のモスカさんの成績は上々!! ファッソーネというピエモンテの牛の種類でも腿の部分を競う部門でまず1位。オス牛「Manzo」の部門で1位。そしてクリスマス用去勢牛の部門で1位と3位を獲得!!

 入賞した牛の数で言えば彼らの四十年の品評会参加の歴史の中でも記録に残る好成績でした。

 私は、牛のことが分からなくてもこのイベントに連れて行ってもらうのが大好きです。わたしの大好きなモンフェッラートの農家の人たちの多くにここで会えること。モスカさんたちのどこかうきうきした一張羅の瞬間を共にできること。私の知ることの出来なかった義父の仕事の世界を少しでも想像のできる日だからでしょうか。

 今年は生まれて初めて原始人も一緒に来ました。こんな楽しいものだとは思わなかったと彼。
あったりめぇだぜい!!
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ピエモンテのクリスマス、少なくとも我が家はこう-その1- 


 日本でも、きらびやかなイルミネーションが街角を飾っていることでしょう。
ボーイフレンドや家族へのプレセントを用意している人たちも多いのではないでしょうか?

 クリスマスまであとわずか、ビエッラの街もクリスマスのプレゼント探しや25日の食卓を飾るメニューの素材を求めるひとでごったがえしています。

 でも、そこはやはり、カトリックの精神と伝統が深く息づいている国「イタリア」のクリスマス。日本で送るのとは違います。 まず今日は、そのクリスマスまで秒読みの今の時期、我が家のパピンとマミンの悩みの種となってしまうこの仕事を密着取材しました。

 はい、アニョロッティ作り!!です。 日本でもよく知られている詰め物のされたパスタ『ラヴィオリ』はピエモンテでは「アニョロッティ」といいます。 アニョロッティは、その地域や家庭によってレシピが違いますが、数種類のお肉をローストして詰め物を作ります。
   我が家の場合は、仔牛肉と豚肉、それにソーセージを少々、そしてキャベツのゆでたものを一緒にミンチにします。 他ではウサギ肉を混ぜるところもあれば、キャベツでなくほうれん草とか、ボラジネとかを入れたりもします。

  マミンは一日中立ちっぱなしで二日間かかるこの仕事が今では大嫌いになってしまいました。精肉店のお上さんとして40年店に出ていたし、当時は毎週このアニョロッティを作っていた彼女ですが、外反母趾で一度手術したことのある足が年とともにどうしても痛みます。

 それでもマミンがつくるアニョロッティをあてにしている人は大勢。

村のお医者さん、村の土建屋に出入りしている設計士の女性、ルナルドンのお母さん、ビエッラの町のガッリーナ家かかりつけのお医者さん。彼らはこの時期に彼女がアニョロッティを作って持ってくる知っています。

クリスマスディナーのプリモはそれと決めている人も中にはいますから期待を裏切るのは難しすぎる!!

それにやっぱり今年1年お世話になった人たちに感謝と来年への挨拶も兼ねているし、、、。

 これまで私が顔をだすとまるで彼らの聖域といわんばかりに、おいしさの種明かしを嫌がるかのように現場をかくしてきたのに、今年はすんなりと現場に入れてくれました。

もちろんお手伝いもしながらパスタの皮の厚さとか、具の硬さとかしっかり頭と手に叩き込みましたよ。

 作業をぜーんぶ終えると、マミンが私に一言:『これがあたしたちのアニョロッティの作り収めね。来年はあんたにやってもらうから。』

 本当なら自分に任されるのだから嬉しい筈なのに、どこか悲しさが台所の湯気にこもっているような、そんなふうにマミンの声は曇って聞こえました。
3人で来年もわいわいアニョロッティを作れるよう、24日のミサには祈りたいと思います。

さて、次回はままたモスカさんとクリスマス前の伝統行事、牛の品評会に行ったお話でもしましょう。 にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
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わたしは、、、

Muccan.JPG
ぶじゃねんのお仕事HP

公楽さんのイタリア紀行 

公楽さん
実に明快!2010年秋、ソルデヴォロ村に滞在された公楽さんご夫妻が紀行文を寄せてくださいました。読めばソルデヴォロ時間が流れるでしょう。

ここです、、、

Video:オルガのバター作り

Video:8月の山に行く

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